長く勤めた自分にしか書けない、そんな記事を。

「いただきまーす!」

2020/11/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

この物語は架空の物語です。
著作権は拓一人にあります。無断転載、引用は禁じます。
本作は「小説家になろう」で同時公開中です。
<あらすじ>
首都圏の獣医大学を出た東京出身の田中一平。ふとしたきっかけで親元を離れ、とある田舎の自治体、里崎県の公務員獣医師の道を選択する。
里崎県の郷浜食肉衛生検査所に勤務することになった一平が、個性的な面々に振り回されながら仕事や一人暮らし、はたまた恋にも励んじゃう、獣医さんのお仕事エンターテイメント小説!
<目次>
第 1 話  第 2 話  第 3 話  第 4 話  第 5 話
第 6 話  第 7 話  第 8 話  第 9 話  第10話
第11話  第12話  第13話  第14話  第15話
第16話  第17話  第18話  第19話  第20話
第21話  第22話  第23話  第24話  第25話
第26話  第27話  第28話  第29話  第30話
第31話  第32話  第33話

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第1話

「ん、あふぁ…。あ痛てて…。」
ゆっくりと体を起こす。すっかり寝込んでしまった。
僕は田中一平。関東の獣医大学を出て、この春、里崎県の郷浜食肉衛生検査所に勤務することになった。
20階建てのオフィスビルみたいな里崎県庁の、これまたどでかい講堂で辞令交付式に出席した後、引率の人に言われるまま高速バスに飛び乗ったんだけど、一体どこまで連れて行かれるんだろうか。
バスの窓ごしに見る外は、見渡す限り、まっ平らな田んぼが広がっている。
「しっかしほんと、なんもねえし。うー、さぶ。」
背中を丸めてダウンジャケットのポケットに手を突っ込む。
バスはやがてせいぜい4階建ての建物しかなさそうな小さな街並みを進み、古びたバスターミナルにたどり着いた。
「ご乗車の皆様、お疲れさまでした。終点郷浜バスターミナルに到着です。お忘れ物のないようにお願いします。JR郷浜駅をご利用のお客さまは…。」
さてと。降りますかねっと。あー、腰いて…。

運転手さんの声に急かされるように傍らのリュックを抱え、席を立った。

バスを降りるといきなり後ろからでかい声で呼ばれた。
「田中さん?田中一平さん?」
「は、はい?」
振り返ると黒縁メガネの巨体の男がズン!と目に飛び込んできた。
思わず一歩後ずさりし、怯えるような目で巨体の男を見つめる。
「あ、脅かしちゃったかな?すまんすまん。」
どははっ、と大男は笑う。
「郷浜食検の石川です。よろしく。迎えにきたよ。」
「あ、ありがとうございます。」
慌ててペコリと頭を下げる。
「じゃ、これ乗って。」
石川と名乗る大男に言われるまま、一平は古びた白いジムニーに乗り込む。
大男はその巨体を運転席にぎゅっと詰め込んだ。
「あのさ、ちょっと時間ねえから急ぐな。」
とたんにアクセル全開でジムニーが吹っ飛んでいく!
(ひええええ!)
助手席にしがみついた一平を乗せたジムニーは、あっという間に街並みを駆け抜けていった。

車はどんどん市街地を抜け、やがてまたしても見渡す限り田んぼの世界を駆け抜けていく。やがて眼前に小さな丘がせまり、そこを回り込んだとたん、大きな建物が目に飛び込んできた。
「あそこがおれらの仕事場だよん。」
石川は助手席の一平にウインクしながら、ほれほれ見なよと促してくる。
「へ、へえー。」
ま、前見てくれえ!頼むからあ!

車は大きな建物をすり抜け、隣に立つ2階建ての箱形の建屋の駐車場に急停車した。
と、建屋から1人の30代位の女性職員が飛び出てきた。
「まったくもう、なんて運転するんですか!課長!」
「え、だって早く連れて来いって所長が言うからさあ。」
「早くったって、程度があるでしょ!ごめんなさいね、怖かった?」
助手席にしがみついていた手を辛うじてひっぺがしながら、一平は声を絞り出す。
「あー、いや…、迎えに来ていただいて助かりました。」
「もう、課長ったら新採君が来るといっつもこれなんだから。今度からは絶対やめてくださいね!」
「あーい。」
課長と呼ばれた巨体の男が運転席の窓を閉めながら面倒くさそうな顔で返事をし、ゆっくりと車から出る。やっぱりデカい。それに黒縁メガネの奥の大きな目玉が怖い。
女性職員は助手席に駆け寄って一平の顔を覗き込む。
「郷浜食肉衛生検査所へようこそ!じゃ、これから全体会あるから急いで準備して。私は山田。よろしくね。」
セミロングの髪を後ろに束ね、目元がきりっとした容姿の女性がにこりと微笑んでいる。
一平は思わず照れながら、慌てて車から飛び降りて直立し、
「田中一平です。よろしくお願いします。」
とペコリと頭を下げた。

検査所の正面玄関を入るやいなや、今度はサラサラヘアの若手男性職員につかまる。
「あ、このスリッパ使って。津田と言います。」
「よろしくお願いします。」
「もう始まるから、急いで。2階だよ。」

言われるまま津田に続き階段を上るとすぐ大会議室があり、津田がドアを開けた。一平も後に続く。
大会議室には既に20人くらいの職員がロの字に並べた机に座っている。一番奥のホワイトボード前の机に頭頂部が薄い小柄なおじさんがニコニコしながら座っていた。
「やあ、はじめまして。所長の水戸です。田中さん、こちらへどうぞ。」
促されるまま、一平が水戸の隣の席に立つ。
「じゃ、自己紹介を。」
「へ、あ、はい。えーと、田中一平と申します。よろしくお願いします。」
「あらら、もういいの?」
「え、ええ…。」
あいさつ、なんも覚えてない。気の効いたことひとつぐらい言わなきゃとバスの中で考えてはいたんだけど、さっきの暴走車ん中でパニクってる間にすっ飛んじゃったよお…。
「ま、ご質問のある方は後で聞いてあげてね。じゃ、連絡事項は山本さんから。」
水戸所長は傍らに座る男性職員に目配せをする。50代くらいの銀縁メガネをかけたスポーツ刈り。見るからに実直そうだ。
「では、お手元の資料で。まずは今年度の事務分担から…。」
山本が銀縁メガネをちょいとかけ直して説明を始めた。
理解しようとがんばって聞いてみたけど、なんかもう何言ってるのかさっぱり分かんないや…。
ま、いっか。

山本の説明を聞き流しながら会議室の面々をゆっくりと見渡してみる。
若い人もいるけど、結構年代層が広いんだな。
ふと、1人の若いショートヘアーの女性職員と目が合う。
慌てて目をそらし、資料を読んでいるふりをしてみた。
少し経ってからそおっと上目使いで彼女の様子を窺ってみる。
彼女は再び資料に目を落としていた。
ふー、やっべ…。でも結構可愛いかも…。よっしゃ!

「…という訳で、今年一年はこの体制で進めたいと思います。みなさんよろしくお願いします。」
水戸所長の締めで年度当初の全体会が終わり、皆が席を立つ。
山本が所長ごしに田中に声を掛けた。
「田中君は最初なんで、色々書いてもらうものがあるから一緒に来て。」
「あ、その前にアパートってどうなったんですか?職員アパートの抽選が外れたから民間アパート手配します、って聞いてたんですけど。」
「そうそう、その話もね。この春転勤しちゃった総務の人が年度末ギリギリまで頑張って探してくれて、ようやくなんとかひとつ確保したんだよ。なんか石川さんが口利きしてくれたみたいでさ。あ、石川さん、アパート教えてあげて。」
会議室を出ようとした巨体がゆっくりとこちらを向く。
げげ、あいつか。
「はい。じゃ、新任の手続き済んだら帰りがてら送ります。」
「ありがと。よろしく。では田中さん、」
こっち来て、と手招きする山本に従って会議室を出た。
なんか嫌な予感がする…。

総務係の前の机でいろんな紙におんなじようなこと何度も書かされて、ようやく、
「はい、いいです。では今日はこれでお帰りいただいて結構です。帰りは石川課長がお送りしますからね。」
銀縁メガネをかけ直しながら山本はにこやかに所長室脇にある自席に戻っていく。
「いくぞ。」
事務室のドアを開けたまま、石川が一平を待ち受けていた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
あーあ、また吹っ飛んでくんだろうなあ…。
げんなりしながら石川の後に続いた。

「あ、課長、お疲れさまでした。お先です。」
石川と共に一階玄関に向かう途中、さっき全体会で見かけたショートヘアーの女性職員が石川に声を掛けた。黒のジャンパーにベージュのパンツ姿。片手にヘルメットを抱えている。
「おう、お疲れ。」
石川が無造作に返事を返した。
「じゃ、お先です。」
今度は一平を覗き込み、声を掛けてきた。
やっぱ可愛い!
「あ、お疲れさまです。よろしくお願いします。」
慌てて言葉を返した。

玄関を出たショートヘアーの彼女が小走りに遠ざかっていく先に、真っ赤なタンクのオフロードバイクが1台止まっている。
彼女はヘルメットを被って跨がりざまにキックペダルを踏み込んだ。
一発で起動した単気筒のエンジン音が腹に響く。
ギアを入れ、アクセルを開けたかと思ったら、あっという間に見えなくなってしまった。

「乗んなよ。」
バイクを茫然と見送っている一平に石川が車を指差す。
あ、すいません、と言いながら一平は助手席に乗り込んだ。

車は今度は予想外に安全運転で田んぼ道を走り抜けていく。
「俺は普通はこんなだから。さっきはちょいと急いでたんでな。」
石川が一平にニヤリと笑ってみせる。
「さっきの子、結構可愛いだろ?けど、とんでもねえジャジャ馬だから蹴飛ばされんように気い付けろよな。」
石川が巨体を揺らしながらどははっ、と笑った。
「は、はあ…。」
ジャジャ馬?

車は市街地に入り、静かな住宅街の路地を2、3回曲がった所で止まった。
「ここだ。」
「え?」
石川の指差す先にあったのは、ちょと揺れたらすぐに倒れそうなオンボロ木造アパートだった。
「ここの2階奥。」
「えーと、はい…。」
もう言葉がでない。
「おーい、ばあさん、いるかあー!連れてきたぞお!」
石川がドでかい声で叫ぶと、1階の一番手前の部屋のドアが静かに開き、小柄で人の良さそうな老婆がニコニコしながら出てきた。
「あらあら、そんなに大きい声出さなくても聞こえますよ。ようこそ、私が大家の神代です。荷物はこれからだって聞いたから、とりあえず今晩寝れるように布団出しときましたから。何か困ってることあったら遠慮しないで何でも聞いてくださいね。」
そんな風にこられると、あ、すいません、やっぱやめます、なんて切り出せない。さあ、困った。
「あれ、新しい人来たの?」
不意に背後から声がした。
振り返るとポニーテールの女子高生くらいの女の子が立っている。
「こんにちは。私、お婆ちゃんの孫で、神代優子って言います。お婆ちゃんがいないとき留守番とかしてるんで、いないときは私に聞いてくださいね。」
クリッとした瞳を輝かせながらにこっと微笑んできた。
「あ、よろしくお願いします。」
え、あ、いやいや、何言ってんだ、俺。そうじゃないってば!
機を逃さず石川が追い討ちをかける。
「田中一平さんです。じゃ、よろしくね。」
こちらに見せたこともない満面の笑みで優子に応じながら、一平にバチンとウインクして見せた。
くっそー、こんのやろう!はめやがったなあ!

一平がにらみ返すのもつかの間、石川はさっさと車に乗り込む。
運転席から一平を見返し、
「あ、晩飯一緒に食おうぜ、後で迎えに来るよ。おごってやっから。」
と言うとアクセルをふかして颯爽と去っていった。
「よかったですね、一平さん。」
一平の脇で優子がにこにこしている。
じゃ、お部屋とか案内しますね、と優子が促す。

なんか俺と関係ないところで色々進んでく。
どうしよう…。

優子の揺れるポニーテールを眺めながら、一平は一段踏む度にギシギシ軋むアパートの外階段を上がっていった。

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