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「いただきまーす!」 第10話

2020/06/28
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第10話

「田中君、次、これ頼むよ。」
山本次長が、ひと抱えほどの回覧物の山を一平の机の上にドサッと置いた。

食肉衛生検査所もお役所。仕事はすべて書類で管理されている。毎日、嫌になるほどの書類があちらこちらから湧いて出てくる。
一番下っ端の一平に回ってくるのは一番最後。なので結局、書類の片付け役となる。

「はい…。」
思わず出そうになるため息を押し殺しながら、置かれた回覧物の山を睨み付けた。

熱いコーヒーでも飲んで気分転換しようかな、と席を立つと、途中で山本次長が、あ、そうそう、と手を振ってきた。
「定期報告の文書起案、早く回してね。」
「あ、すみません。夕方には回覧できると思います。じゃあ、現場交代の時間なんで。」
「おう、ご苦労さま。よろしくね。」

事務室でコーヒーなんか飲んでたらまた頼まれ事言われそうだったので、ちょいと早いがと畜場の検査員控室に退散することにした。

と畜場の検査員控室では我妻係長と渡辺がテーブルでお茶を飲んでいた。

「おう、早いな。ヤル気満々だな。」
我妻がマグカップをトンと置き、にやりと笑った。
「ええ。今日もよろしくお願いします。」
「なんだかうなだれ気味だな。寝不足か?」
「そんなことないですけど…。」
「事務室は事務室で、結構やることあるでしょ?」
渡辺がにこにこしながら話しかける。
「そうなんですよ。定期報告とか文書整理とか、結局次の交代時間までなんやかんややってて、そのまま現場に駆け込む、って感じなんです。」
「最初はみんなそう。リズム掴んでくれば、そのうち合間見て息抜きできるようになるよ。」
「文書って、PDFをパソコンで管理するとかじゃなくて、紙なんですね。あれの綴り込みも手間ですよね。」
「役所のアクションは、意思決定に至る理由と相手への返し方を文書にして提案。これに所内関係者と上司のOKをもらい、組織の意思として相手に伝える。そして所内の誰が承認してどんな返事を相手に返したかを記録に残す。これで一回終わり。」
「記録に残して整理して保管しておくのは、大きく2つの意味があるんだ。ひとつはきちんと役所の手続きを経て意思決定したという証拠を残しておき、後々問題が発覚したとしても責任の所在が明らかになるようにしておくこと。」
「もうひとつは、次の担当への引継ぎをスムーズにできるようにしておくこと。」
「転勤が必ずあるから、引継ぎしやすく文書を整理しておくのはとても大事な事なんだ。」
「たまにぐちゃぐちゃにして逃げてく前任者がいるけど、そんなのに当たると次の担当は大変なんだよ。」

渡辺は苦笑いして、続ける。
「ここまでの流れを県のネットワーク上で全部やり切れればいいんだけど、型にはまらない仕事の方がはるかに多いから、まだまだ紙に頼るしかないなあ。」
「けどさ、一平君に回ってくる文書は、あれでもうち全体の文書の3分の1くらいだよ。総務関係のうち、上層部しか見なくていい書類は下に回ってこないから。」
「えー、そうなんですか。」
「そうだよ。だから所長と次長なんか、いっつも書類の山さ。」
「あー。大変ですね。」
「まあ、それが仕事だからね。」
渡辺はそう言うとにっこり笑い、お茶を一口飲んだ。
「まずどんな書類がどこにあるかがわかんないと仕事にならない。だから新人君には文書の片付けを真っ先に覚えてもらうんだ。文書管理の基本ルールはどの公所も同じだから、今覚えておかないと、ね。」
「保健所行けば検査所の数倍の文書と取っ組み合いだかんな。」
にやりと笑いながら我妻が合いの手を入れてきた。
「いやあ、もう勘弁してくださいよ。」
「お、そろそろ交代の時間だ。行くぞ。」
我妻が腰を上げる。
「今日は赤物の練習だ。」
「はい。」
渡辺と一平もヘルメットを抱え、後に続いた。

その日の夕方。
アパートの駐車場に車を入れようとすると、大家の神代ばあちゃんと孫娘の優子がアパート外階段の降り口で談笑していた。
車から降り、二人に近づく。
「こんちは。」
「あ、お帰りなさい。ちょうど声かけようと思ってたのよ。」
神代ばあちゃんが手招きしてくる。
「え?なんすか?」
「晩御飯これからでしょ?孟宗汁あげる。」
「モウソウジル?」
「あれ?知らない?タケノコのお味噌汁よ。」
「ここいらじゃ、これ食べないと春になった気がしない、ってくらい、どこんちでも食べるんだけどねえ。」
「大きな孟宗竹のタケノコをアク抜きしてから大きく切って、厚揚げ、シイタケ、豚肉入れてお味噌汁にするのよ。」
「決め手はやっぱり酒粕!そしてワカメをトッピング、ね、おばあちゃん!」
「そうなのよ。カス入れないとだめなのよ。それに最後にワカメ入れるなんて、あんたもすっかり郷浜の子だねえ。」
神代ばあちゃんがウンウン頷きながら嬉しそうに優子の肩をポンと叩いた。
「じゃ、田中さん、お鍋持ってきて。」
あ、はい、と、かろうじて2階の自分の部屋に戻る。

なんかすっかり二人のペース…。
でもウレシイな、ラッキー!

鍋を持って神代ばあちゃんの部屋に行くと、はいよ、っと、ばあちゃんが鍋を受け取った。
ばあちゃんは孟宗汁を鍋によそいながら床に置かれた四合瓶をアゴで指す。
「あ、優子ちゃん、それも田中さんに。」
はーい、と優子が一平に瓶を渡す。
「ここの地酒よ。地物の孟宗汁には地酒がぴったりなんだから。」
「え!いいんすか?やったあ!」
「孟宗汁の材料は、それこそ味噌までもぜーんぶ郷浜でとれたり、作ってるものばかりさ。」
「郷浜100%じゃい!」
神代ばあちゃんが鍋を手渡してくれた。

鍋から溢れる味噌汁のいい香り。
どんぶりによそうのさえ、もう待てない。
外階段を駆け上がって部屋に戻るなり、テーブルに鍋をどかっと置き、直接箸を突っ込んだ。
大きく切ったタケノコをつまみ上げ、口に放り込む。
とたんに鼻に抜ける竹のいい香り。コリコリした食感。
急いでシイタケ、豚肉、厚揚げを次々と口に放り込む。
なんでお前らこんなに仲良しなのお!

やおら台所に飛び込んでお玉をひっつかみ、汁をひとすくいしてそのままずずっと飲む。

「うんめー!」

思わず大声で叫んでしまった。

下の階から、ばあちゃんと優子の大笑いが聞こえてきた。
「よかったね!」
優子の大きな声が外から聞こえてきた。

すかさず窓を開け、下を見ると、優子とばあちゃんが窓から顔を出している。
「超うんまいです!感動!」
「いかったねえ。いかったねえ。」
「ありがとうございます。いただきます!」
「いっぱい食べなされや。」
ばあちゃんと優子が手を振りながら頭を引っ込めた。

テーブルに戻り、四合瓶のラベルを見る。
へえ…。純米酒か。

キャップを開けてコップに注ぐ。
そしてゆっくりと口に含んでみた。

孟宗汁のこってりとした後味が優しくすっきりと洗い流され、今度はフルーティーな日本酒の吟醸香が鼻の奥に広がる…。

ああ、たまらん…。

ゆっくりと立ち上がり、台所にあるどんぶりを掴む。
テーブルに戻ってどんぶりをドンと置き、純米酒をコップへさらに注ぐ。

「よし、食うぞ!」

目の前の鍋から突き出たお玉の柄を、ぐいっと握りしめた。

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