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「いただきまーす!」 第14話

2020/07/26
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第14話

朝の通勤。
一平は検査所へと向かう、いつもの田んぼの中の一本道で車を走らせている。
知らないうちに稲の苗が育っていて、360度、見渡す限り鮮やかな緑色の絨毯が広がっている。
緑の絨毯の上を初夏の風が優しく撫でていく度に、さざ波が続く海の真っ只中を走っているような錯覚を感じてしまう…。

あー、さいこー。

このままどっか、ぷらっと行っちゃいたいなあ…。

やがていつものように、と畜場の建屋が見えてきた。
あー、着いちゃった…。
しょうがねえ、仕事しますかね、っと。

着替えて事務室に入ると、同じ指導課の先輩職員、山田が一平に手招きしている。
山田はセミロングの髪を後ろに束ねてから一平に近づく。
「さあ、今日は現場検査の練習一休みして、うちの仕事手伝ってもらうよ。」
「その前に、ナベさんに頭の整理してもらうからね。」
山田は、うふ、と笑い、渡辺にタッチをした。
照れくさそうに山田と軽く手を合わせた渡辺が、コホンと小さく咳払いして一平の隣に座る。

「ちょっと長くなるけど、付き合ってね。」
一平はコクリと頷く。

「検査所がやってる仕事って、一言で言えば、食肉からの疾病排除と衛生レベルの確保だよ。」
「まず疾病排除。毎日のと畜検査、つまり現場検査と試験室内検査で、食肉になる牛や豚を1頭ずつぜーんぶ調べて、病気に罹ってたり、罹ってるおそれのある奴を見つけて食肉にならないようにする。」
「もう見てもらっているように、現場検査は指導課も検査課も関係なく獣医全員でやって、検査所の中でやる検査は基本的に検査課がやる、っていう役割分担だね。」

「検査所の仕事の二つ目、衛生レベルの確保。これは指導課の仕事。実はこいつ、結構手間がかかる仕事なんだ。」

「パックに入ってスーパーなんかで売ってる肉って、買ってる人はみんな、清潔で安全なものだと当たり前のように思ってるだろ?」
「でもちょっと考えてみてほしいんだ。牛や豚の体表や腸管には、たとえ健康な状態でもいっぱい菌がいるよね。健康な人間にだっておんなじように菌がいる。」
「そんな牛や豚を、同じような状態の人間がなんにも考えずにと畜場で解体すれば、牛や豚、人由来の菌を、どっさり枝肉にくっつけてしまう。」
「と畜場から出荷される枝肉に、仕入れた時から既にどっさり菌が着いてしまっていれば、それを仕入れてパックしてるお肉屋さんがどんなにがんばったって、売り物のパック肉には菌がくっついちゃうよね。」
「だからパック肉の原料となる枝肉は、理想を言えば無菌的な状態で出してあげないといけないんだ。」

「けどさ、と畜場では外科手術するみたいなやり方で解体してるわけじゃない。だから無菌的に牛や豚の筋肉を取り出すなんてことは不可能。なので、次善の策として、可能な限り菌を着けないように筋肉を取り出すにはどうするか、を考えることになる。」
「僕らが菌と戦う武器は、解体機械器具と解体手順、手技。あとは熱湯消毒。これを最大限に工夫して、いかにして枝肉に菌をくっつけないようにするか。これを解体作業員さん達と一生懸命考え続けるのが、検査所の指導課の一番大きな仕事なんだ。」

「解体作業員さんから検査所の検査員まで、みーんな1本のラインに張り付いて、流れ作業で解体してるでしょ?誰か一人が手を抜けば、そこで菌が枝肉にくっついちゃう。菌がくっついた場所を次の解体作業員さんが触れば、その作業員さんの手指や器具にくっついちゃって、その菌を同じ枝肉の別の場所にくっつけちゃう。」
「さらに悪いことに、その作業員さんが手指や器具の菌を毎回きちんと落としていてくれなければ、次の枝肉にもその菌がくっついちゃう、って感じで、どんどん菌の汚れが当日処理した枝肉全体に広がっていくんだ。」

「現場終了までみんながパーフェクトの仕事をして初めて、その日の全部の枝肉がきれいに仕上がるんだよ。」
「人のやる仕事だからね。その日に解体に関わる数十人のみんなが全員パーフェクトにやりきる、なんてのはなかなか大変。これは分かってくれるよね?」
「なかなか大変。だけどそれを目指して、みんなが仕事してるんだ。」

「ね、ちょっとカッコいいでしょ?」

「じゃあ、選手交替、次は山田さん。」
渡辺が腰を上げると、山田がおっす、と手を挙げ、一平の隣に座った。
「てなわけで、と畜場では毎日の仕事が指示通りできてて、それを上司が承認しました、っていう記録書類が山と積まれてるの。」
「HACCPって言う管理方法なんだけどね。」
「ハサップ?」
「そう。」
「まあ、能書きは後回し。」
「それを定期的にチェックするのは指導課の仕事なの。」
「これから私と君でチェックするから、一緒に来て。」
さ、行くよ、と、山田がそそくさと事務室を出て行く。
慌ててついていくと、と畜場の1階にある解体業者さんの事務室に着いた。

「こんちわ。よろしくお願いします。」
山田が事務室の50代くらいのやや頭の薄い男性職員に挨拶する。
「隣の会議室に置いときましたんで。」
「ありがとうございます。」
「大変ですね。全部目を通すんでしょ?」
「ええ。でもHACCP立ち上げの時に比べりゃ、楽勝です。あの時はほんとに大変でしたよね。」
「全くだよ。あん時は夢にまで出てきちゃって。頭から湯気が出る、なんてのは、あのことだよねえ。」
「私も白髪が増えちゃって参りました。」
「なんのなんの。先生、全然変わってないですよ。」
「またお上手ねぇ。」
山田は軽くいなし、一平を連れて会議室に入った。

「あの人はここの部長さん。私も新米の頃からの付き合い。ああ見えて苦労人なのよ。」
「ま、そのせいで頭薄くなっちゃったけどね。」
あ、これ部長に言っちゃダメよ、結構気にしてんだから、と言いながら、中に入った。
「さあ、これよ。」
会議室のテーブル2つつながりの島が3つ。
その上にあまたのファイルが山積みになっている。

一平は思わずため息をつく。
「これ全部ですか?」
「そ。じゃ、やろか。」
山田はイスにどっかと座り、一番上のファイルを手に取ってめくり始めた。
「チェック漏れや記載漏れあったら付箋紙貼っといて。あと承認者のハンコないやつもね。」
「夕方までにでかしちゃうからね。あたしも晩ごはん作んないといけないから。」

おいおい、勘弁してくださいよ…。

そして夕方。
憔悴しきった一平を引き摺るように連れて帰った山田は、検査所の山本次長の机に向かう。
「書類チェック終わりました。明日、田中君とダメだし行ってきます。」
「よろしく頼むよ。ここのと畜場のマニュアル知り尽くしたHACCP立ち上げメンバーから言われると、あちらさんもぐうの音も出ないからね。」
「あ、そうそう、田中君呼んでくれるかな?」
はい、と答え、山田が一平を呼ぶ。

「はい。」
「今日はお疲れさま。結構大変だったでしょ?」
「はい…。そうですね。あ、けど勉強になりました。ありがとうございます。」
「あはは。そんな無理せんでいいよ。」
「まあ、ゆっくり覚えてくれな。」
次長の言葉にちょっと救われ、思わず顔が緩む。
「田中君に、ちょっといい話だよ。」
なんすか?と一平が尋ねる。
「赴任旅費、出てます。」
「え?」
「実家のある都内からここまでの引っ越し代、ってとこかな。ちょっとした額だよ。」
「えー!やったあ!」
思わず高々と両手を挙げ、バンザイしてしまった。
山本がにこにこしながら言う。
「こんなことしかできなくてすまんね。実家のご両親にもどうかよろしく。」
「ありがとうございます!」

「あ、いーなあ。おごれ!おごれ!」
所内のあちこちから冷やかしの声が上がる。
「あーら、今日一平君をお世話したの、私だからね。」
山田まで乗っかってきた。
「だめですってば!俺、クルマ代でボーナスあらかた持ってかれたんで。」
山本に向き直って言う。
「これでようやく一息着けます。」
「それは良かった。」
山本が眼鏡の縁をクイっと上げながら微笑んだ。

一平はウキウキ気分で自分の席に着く。
「よかったね。」
津田が声を掛ける。
「じゃあお祝いにいいものあげる。」
「ねえ、アジの刺身とキスのテンプラあるんだけど、食べる?」
「え!いいんすか!」
「いっぱいあって食いきれなくて。毎年のことなんだけどね。」
「毎年?」
「そう。郷浜の魚、いま初夏のハイシーズン中。」
「僕はこの時期と秋、毎年釣りで大忙し。最近は僕だけじゃなくて野島さんもキス釣り始めたから、いいサイズのだけ選んで持ってきても、もう食べきれなくて。」
「もらいます、もらいます!」
「じゃ、帰りに一緒に来て。野島さん家にあるから。」

野島さんの家は、市街地からやや離れた所にあった。旧い農家の家って感じの佇まい。
「来たよー。」
津田が玄関から中に声を掛けると、野島さんが出てきた。
エプロン姿でなんかもう、奥さん、って感じ。
「いらっしゃい。」
「じゃあ、これね。」
野島が一平にお皿とタッパの入ったレジ袋を手渡す。
「お久しぶりです。ありがとうございます。」
「アジは僕が釣ったんだ。キスは彼女。」
「ちょっとしかないけど、アジの刺身にキスの刺身もつけといたから。」
「へー、キスの刺身ですか。初めてです。」
「アジは釣った直後にすぐ血抜きしてるから、ぜーんぜん生臭くない。」
「キスは釣ったその日にサクにしておいて、2日冷蔵庫で寝かせておいたんだ。」
「こうやって仕込んだ刺身食べちゃうと、もう、スーパーの刺身なんかアホらしくなるぐらい、ウマイよ!」
「ホントっすか!いやあ、楽しみだなあ。」
「そうそう、地酒と合わせてね。高いやつじゃなくていい。冷蔵庫できちんと冷蔵してある地元の純米酒なら、たいてい大丈夫。」
「地元の酒は、地元の魚にぴったり合うんだ。」

あれ?どっかで聞いたような…。

ま、いっか。急いで帰ろっと!

野島の家を出て近くのスーパーに飛び込む。
冷蔵ショーケースの地酒コーナーに並んでる四合瓶をぐいっと睨み付ける。
1本ずつ裏面の表示を確かめ、原材料が「米・米麹」になってるものの中から、一番安い奴をえいっと1本掴み取り、飛ぶようにアパートに帰った。

大急ぎでシャワーを浴び、頭をガシガシとタオルで拭きながら冷蔵庫を開ける。
貰ってきた刺身皿のラップを取る。アジもキスもキラキラと澄んだ光を放っている。
小皿に醤油とワサビを乗せ、アジを一切れ、醤油につける。
とたんにふわっとアジの脂が醤油の表面に広がった。

ワサビを少し乗せ、ゆっくりと口に入れる。
濃厚なアジの旨味。ワサビの香りがそれを際立たせる。
純米酒をコップに注ぎ、クイっと口に含む。
ばあちゃんからもらったやつほどじゃないけど、嫌なところがひとつもなく、すっきりとしたきれいな酒だ。
たちまちアジの脂がさらりとなくなってしまった。
「どれどれ、今度は、と。」
キスを一つまみ。
醤油につけると、これまたふわっと脂が広がる。
「いやあ、お前さんもですか…。」
そおっと口に入れ、ゆっくりと噛みしめる。
今度は歯ごたえがある。そしてアジに負けない旨味が鼻の奥まで広がっていく。
またしても純米酒を一口。
もう、何もなかったかのように口の中がすっきりと洗い流された。

「いや、もう、たまらん!とまんねえ!」
クイクイいっちまう。

へへっ。今度はキスのテンプラ。
タッパのフタに乗せといた塩をちょいと着けて、っと。

おわ!外はサックサク、中はふんわり!
うんめー!

ここでもう一杯…。

あー、沁みよるわ。
あした、ちょっとヤバイかも…。

ふと地酒の入ったコップを見つめる。

…。

ぐい飲み、欲しいかな…。

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