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「いただきまーす!」 第2話

 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第2話

「一平君はどうするの?」
一平はうつむいてテーブルの上のコーヒーカップを虚ろな目で眺めている。
「あ、いや、まだ決まってなくて。」
「だってもう年末だよ。行き先決まってないって、どうすんのさ!」
「あー、もうイライラする!じゃあね!」
「え、じゃあねって?」
「私ずっと我慢してたけど、あなたのその決められない優柔不断なところ、大っ嫌い!もうやってらんない!」
「ち、ちょっと待ってよ!由美ちゃん!」
テーブルを立った彼女は、遠くにいた友人達に向かって走り去っていく。
「ま、待ってよ!」
一平は立ち上がり追おうとするが、足が動かない。
くそ、どうした、足が重い!なんでだ!動かない!
「くそーっ!」
叫んだ自分の声に驚いて目が覚めた。
「あれ?」
古びた天井が見える。横を見ると安物のクロスを張った板壁に、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
眩しさに思わず目をしかめる。

あれ、ここどこだっけ?
そっか…。来たんだっけ…。

ふと見ると掛け布団ごしに一平の膝の上に黒い丸いものが乗っかっている。
…。?

黒いものはモソモソと動きだし、やがてこちらに頭を向けてきた。
てっぷりと太った黒白のブチ猫が、大福みたいにぼってりとした不細工な顔を一平に向け、クワーッと大口を開けてあくびをした。

とたんに頭に鈍痛が走り、胃から猛烈に何かがこみ上げてくる!
やっべ!
トイレに駆け込んで便器を抱え込み、盛大に吐き出す。
ひとしきり吐き出したが、今度は頭の中でドでかい鐘がぐわんぐわんと鳴っている!
「いってー!」
涙と鼻水をティッシュで拭きながら蛇口から直接水を飲む。

そっか、昨日飲んだんだっけ…。

だんだん思い出してきた。
昨日、石川に焼鳥屋に連れていかれて、何人かと一緒に飲んだんだっけ。
みんなと差しつ差されるままに飲んでるうちになんか気持ち良くなっちゃって。何話したんだっけか…。

傍らでてっぷりと太ったブチ猫がぽてっと座って一平を見上げている。
こいつ、どっから入ってきたんだ?

ブチ猫は意外な身軽さで流しに飛び乗ると、外廊下に面したサッシ戸の隙間からするりと逃げていった。
なんだ、そこか…。
ふと、ため息をつく。

あ、いけね!支度しなきゃ!時間は?
枕元のスマホをつかみ、脱ぎ捨ててあったくしゃくしゃのワイシャツを拾い上げる。
慌ただしく身支度をしていると間もなく外からプップー、とクラクションの音が聞こえてきた。
窓から見ると黒い軽自動車が停まっており、運転席から津田がひょっこり顔を除かせた。
ガタつくサッシ戸をよいしょと明け、外を覗く。
朝日が二日酔いの目玉に突き刺さり、思わず顔をしかめた。
「すいませーん、今行きます!」
再びよいしょとサッシ戸を締め、外階段を掛け降りる。
下に降りると大屋の神代ばあちゃんが庭の掃き掃除をしていた。
「おはようございます、いってきます!」
あー、頭いてー。
「おはようございます。昨日は上機嫌でしたね。いってらっしゃい。」
神代ばあちゃんがほうきを片手に、にこやかにあいさつを返す。
上機嫌?なんだっけ?

すぐに津田の車に駆け寄る。
「おはようございます。ありがとうございます。」
「おはよ。大丈夫?」
「はあ、まあ、なんとか…。俺、昨日何かやらかしませんでした?」
「え、覚えてないの?」
「いやー、覚えてるような、覚えてないような…。」
「あ、そうなんだ。いや、楽しく飲んでたよ。」
「そっすか。よかった。」
「じゃ、出すね。」
津田はサラサラヘアーをさらりと掻き分けながらにこりと笑い、滑るように走り出した。

検査所に着くとすぐに白衣に着替え、事務室に向かう。
朝ミーティングで連絡事項が手早く伝えられると、皆はそそくさと事務室を出て行った。
「今日は僕と一緒だよ。午前中は所内を案内するから。午後は早速、現場検査をやってもらうからね。」
津田がさらっと髪をなびかせて一平に近づいてきた。
「えっと、は、はい。」
辛うじて返事を返す。
いっけね。まだ頭がズキズキする…。

二人で1階の検査エリアの廊下を進み、検査所奥の通用口へ向かう。
「なんかさっきのミーティング中、みんなの視線を感じてたんですけど、ホントに昨日、僕、何にもしてませんよね。」
「うん、楽しく飲んでたよ。途中で大発言も飛び出して、おかげでみんな大盛り上がり。」
「だ、大発言?」
「今年は里崎で可愛い子見つけて楽しく暮らすぞお!ってさ。」
「!?、…。」
「おっしゃー!ええぞー!ってみんな大喜び。」
思わず両手で頭を抱える。
各検査室の前を通る度に、中にいる職員が廊下に面したパーテーションガラスごしに一平を見つけ、クスクス笑いながらチラチラこちらを見ている。
顔から火が出そうだ。
あー、やっちまった…。くそー。

「あ、ここで現場用の白衣に着替えて行くよ。」
気を取り直して通用口脇の更衣室に入る。
「と畜場の汚れを検査所に持ち込まないように、ここで現場用の白衣に着替えるんだ。」
「そして汚れた白衣は毎日洗濯。なのでここの洗濯機は夕方までずーっと回りっぱなし。うちで一番の働き者だよね。」
津田がまたしてもさらっと髪をなびかせてにっこりと笑いかける。
「そして現場用のヘルメットと長靴。」
真新しい白いヘルメットと長靴を受け取り、津田に続いて通用口から外に出る。
と、昨日見た、どでかい四角い建物が目に飛び込んできた。
「あれがと畜場。」
「うちは豚がメイン。ざっくり言うと、と畜場の建物正面向かって右手奥から生きた豚が入ってくる。ほんで、と殺放血したあと、ながーい1本のレールに逆さに吊るされる。左に行くに連れて足先、尻尾、頭、内蔵、皮が取られて、最後に背骨に沿って縦割りされるんだ。これを枝肉って呼ぶんだけど、冷蔵庫で保管しといて、最後に食肉業者さんが一番左奥の出荷ピットから保冷トラックで出荷するんだ。」
「牛もあるけど、今日はまず豚だけ見てもらうね。」
「正面玄関から入るよ。」
通用口から20メートルほどの距離にと畜場建屋の正面玄関がある。
「ここで内履きに履き替えるよ。」
一平君はスリッパ借りようね、あとで自分用を準備しといて、と促された。
スリッパをペタペタいわせながら津田に続いて階段を上っていく。
「ここが検査員控室。」
20畳ほどの部屋にロッカーやテーブルがあり、交代要員らしい検査所職員が二人座ってお茶を飲んでいた。
おはようございます、とペコリと挨拶をすると、ごま塩坊主頭の一人がニコニコしながら手を降ってくる。
「おう、田中君、おはよ!よろしくね!早くいい子見つけろよ!」
「あ、どうもすいません。」
くっそー、みんなに広まっちゃってる…。

津田がクスクス笑いながらマスクの箱を差し出す。
「じゃ、ここでグローブとマスク着けて。現場入るよ。」
「…。はい。」
あーあ、もう、どうもならんわ…。

津田の案内でと畜場の施設設備、解体の流れを見る。
豚が吊り下がった解体ラインの下をくぐったり、床が滑ったりして、津田の後に続いて歩いているだけでも結構危ない。
解体室は解体用の機械や器具の動作音で結構な騒音。
津田は大声で一平に言う。
「特に床には気を付けてね。落ちてた脂に水が乗ってたりするから。すごく滑るよ。」
「ケースに入れてるとはいえ、転んだ拍子に持ってるナイフが自分や他の作業員に当たってしまうと、即、大ケガ。どんなに急いでても現場の中は絶対に走らない。これは必ず守ってね。」
「了解です。」
一平も騒音に負けないように大声で返した。
「さてと、これで豚の解体はラインは一通り見たね。じゃ、こっち来て。」
津田に促されて別通路を進む。
やがて別に区画された解体室にたどり着いた。
10m四方ぐらいの広さで、色々な解体機械やリフトがある。奥の囲いに豚が1頭。そこで若い解体作業員が一人、機器の準備をしていた。
津田は作業員さんにおはようございます、と挨拶をした後、一平に顔を向ける。
「ここは病畜処理室。トラックで運ばれてきた豚は、まず係留所で生きてる状態で1頭ずつ臨床症状がないか僕らが検査して、問題がない豚だけさっき見てもらった解体ラインに流すんだけど、なにか病変を持ってたり、病気を持ってるかもしれない豚は、さっきの解体ラインには入れないで、ここで解体して検査するんだ。」
「そして問題なしと判断されるまで保管して検査。大丈夫と判断してから、出荷さ。」
「ここでは1頭ずつ解体するから、ゆっくり検査の練習ができる。ナイフの使い方や切開する部位、検査の手順を覚えてもらって、午後からはさっきの解体ラインに立ってもらうよ。」
「最初は豚の頭部検査をまず覚えてもらうから、ここで手指やナイフとかの洗浄消毒のやり方と頭の検査方法覚えようね。」
「じゃあ、お願いします。」
津田が若い解体作業員に声をかけると、若い作業員さんは、はい、というやいなや、あっという間に電気ショックで豚を倒して放血し、豚の後足をハンガーに掛けて逆さ吊りにした。
作業員さんは足先と尻尾を取り、内蔵を舌から肛門までつながったままで一度に取り出して検査台に置いた後、豚をベッドに寝かせ、頭を切断。これも検査台に置いてくれた。

頭を置いた時、ふと作業員さんと目が合った。
マスクごしににこりと笑っている。
「田中と言います。よろしくお願いします。」
一平が慌てて挨拶をした。
「あ、田中さんって言うんですね。よろしくです。」
ぺこりと頭を下げたあと、作業員さんはすぐに豚に向き直って皮を剥き始めた。
「彼は石野さん。よろしくね。じゃ、頭の検査だよ。」
はい、と言って津田の説明を受ける。
「まず全体見て変形や化膿巣がないかチェック。それから、」
よいしょとひっくり返して仰向けにする。
「下顎の角の近くにリンパ節があるから、触ってみて。グリグリしてるやつ。」
「これを切開する。両側ね。やってみて。」
左手の指先でグリグリする親指の先ぐらいの大きさのリンパ節を確かめながら、恐る恐るナイフを当ててみる。とたんにスカッとリンパ節が二つに割れ、クリーム色をした断面が見えた。
「うまいねえ。それにさすが新品のナイフ、切れるねえ。もう片方もやってみよう。」
こちらもうまくパカッと割れる。
「断面の様子を覚えといて。これがまともな断面ね。」
「ここに化膿巣や何か病変が見えたら、その頭は食用にはならないから、廃棄するんだよ。」
「顆粒状の病変はよく出てくる。ミコバクテリウムっていう細菌が作る病変さ。」
「ほんで、ひとつ検査が終わったら毎回、ナイフとグローブ、エプロンに着いちゃった汚れを手洗いとエプロン洗浄機で洗い流して、最後にナイフを熱湯が掛け流している消毒槽に浸けておしまい。これはどこの検査ポジションでも同じだよ。」
あとね、検査記録の書き方はこうだよ、と記録用紙の書き方を教わる。

うーむ、結構覚えることがある。

不安気な表情の一平に津田が笑いながらポン、と肩を叩く。
「大丈夫。ラインに立ってるうちに体が勝手に覚えちゃうから。」
津田は、さ、お昼だ。あとは午後からだよ、と言い、病畜の残りの検査を手早く終わらせて病畜処理室を出て行く。
ふーん、そんなもんかな…。

夕方、津田と一平は検査員控室で装備品を片付けている。
「ふう…。」
「疲れた?」
「ええ。ちょっと。」
「解体ラインで検査するのって、結構焦りますよね。20秒に1頭ぐらいのペースで上流から次のがどんどん流れてくるから。手洗いとか、全然間に合いませんでした。」
「そりゃそうさ。初日だもん。午後の半日で3頭に1頭はできるようになったじゃない。すぐに慣れるよ。」
「それより帰りどうすんの?」
「あ、バスかなと。」
「おいおい、一番近いバス停だってかなり遠いってば。それにこれからの時間でうまく乗れるかどうか分かんない。帰りも送るよ。」
「なんかすみません…。」
「気にすんなって。」

検査所に戻って私服に着替えた後、津田と共に検査所の玄関を出ようとすると、例のショートヘアーの彼女と出くわした。彼女が二人に挨拶をする。
「お疲れさまです。」
「お疲れさま。じゃね。」
津田がにこりと笑い返す。
ヘルメットを手にしたまま片手でスニーカーを履いた後、今度は彼女が一平に向き直った。
「お疲れさま。」
立ち尽くす一平にクスリと笑うと、くるりと玄関に向きを変え、バイクに向かって駆け出して行った。
「彼女は木村真知子さん。知ってるよね?」
ええ、と言い、後ろ姿を見送る。

木村真知子。ちょっと昭和の女優さんみたいな名前だよな…。

「いつもバイクっすね。」
「好きみたいだね。でも雨の日とか冬は車だよ。」
そっか、冬かあ…。
「…。津田さん、中古車屋さん、どっかいいとこあったら教えてもらっていいですか?」
「買うの?だよね。ここじゃ車ないと何にもできないもんなあ。」
「ん?車屋探してるのか?」
突然、後ろから声がした。我妻係長。長身で眼光の鋭いオールバックの40代だ。
「一平君が買おうかなって。」
見上げるようにして津田が返す。
我妻はいきなり目元を緩め、目線を下げて一平に近づいた。
見下ろされるのも怖いけど、はっきり言って、そっちも怖いんですけど…。
「え、ええ。お金ないから、古くていいんで、一番安いやつで…。」
「よし、俺が紹介してやる!乗っけてやるから今からついてこい!」
「え、今から?」
「いいから来いって!」
こんな人ばっかなのかな、ここ…。

我妻に引きずられるように検査所を出て行く一平を、津田がサラサラヘアーをさらっとなびかせてニコニコしながら見送っていた。

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