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「いただきまーす!」 第20話

2020/09/06
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第20話

「せんせー!1頭診てくれって言ってまーす!」
「はーい!今いきまーす!」

くっそ、また来た。

豚を満載した大型車が、ピットにバックで入ってくる。
記録用紙を挟んだバインダーを小脇に抱え、降りかかるシャワー水の飛沫を浴びながら係留所の追い込み担当作業員さんの方へと小走りで向かう。
カッパにヘルメット、長靴姿で係留所の中をグルグル動き回っている。
カッパの中はもう、びっしょりだ。

もうシャワーの飛沫なんだか自分の汗なんだか、よく分かんないや…。

ここはと畜場の一角にある豚の係留所。大きな体育館ほどの広さで、一番手前に生きた豚を乗せた大型車が数台同時に停められるピットがある。
ピットの先はステンレス製の柵で仕切られた横長の通路。そしてその奥に幅2メートル、長さ30メートルほどのコンクリートで仕切られた縦長の係留スペースが10本並んでいる。
それぞれの係留スペースには最大3つの区画に区切れるように開閉可能な仕切り板があり、これを利用して各農場から運んできた生きた豚を、ロットごとに区画して追い込んでおくのだ。
係留スペースの上にはシャワーが設置してあり、適宜放水して豚の体についた汚れを洗い流している。

食肉衛生検査所が行うと畜検査のうち、一番最初に行う検査が、生体検査だ。

係留スペースに沿って走る通路越しに1頭ずつ目視検査し、特に異常がない豚は縦の通路のさらに奥に広がる解体処理室へと追い込まれる。
しかし、異常を認めた豚は、と殺そのものを禁止するか、または病畜処理室という別の解体室で個別に処理させる。
この判断を、獣医師、つまり食肉衛生検査所のと畜検査員が行うのだ。

生きた豚が肉になる、まさに出発点。

ここでの判断を誤ると、食べてはいけない豚が食肉として処理されて出荷されてしまう恐れがあるばかりか、その豚が処理されたためにと畜場の解体処理室が汚染されたり、最悪、その日生産された枝肉のかなりの部分が出荷が危ぶまれる事態に陥ってしまう。

だからいいか、一平。よくわかんなかったら一人で判断しないで必ず誰か呼ぶんだぞ、と、我妻係長からきつく言われていた。

あん時はいつもよりさらに大きく見えたよなあ、係長…。
思い出すたびにブルッと来るぜ、まったく…。

生体検査って、たった一人でやるポジション。一平君がきちんと診てるかなんて、誰もチェックしてない。
最近だと生産農家も体格や健康状態をよく確認して豚を搬入してくるから、問題のある豚が混じって運び込まれる可能性は、まずない。
もしあったとしても、大抵は熟練した係留所担当の作業員さんが教えてくれるから大丈夫。
けれど、わざと混ぜ込もうとする奴がいて、作業員さんが居合わせない時にこっそりと混ぜ込まれて搬入されてしまったら、それをどうやって見つける?
一旦係留スペースに入った豚は、横になったり重なり合ったりしてるから、1頭ずつの全身チェックはいよいよ大変。

じゃあどのタイミングで診るのがベターか。
これを自分で考えて、ね。

津田の言葉が胸に突き刺さる。

一平なりに考えたのが、トラックから下ろすタイミングに立ち会うことだ。
このタイミングなら、1頭ずつの全身状態も確認しやすいし、歩けない豚や歩き方がおかしい豚も見つけやすい。それにトラックにまだ乗せられている時点で見つけることができれば、係留所への影響は、限りなく最小限で済む。

しかし、実際にやってみると、と畜受付から呼ばれたり、治療歴や投薬歴のある豚の確認に呼ばれたり、病畜処理室への搬入に立ち会ったりして、ずっとピットに張り付いてはいられない。

うーむ…。どうしようか…。

ぼんやりと係留所の熟練作業員さんを見つめる。
ピットに着いたトラックの運転手と談笑しているようだ。
おいヒデさん、次はよ、なんて声が聞こえる。

そっか、あの作業員さん、ヒデさん、って言うんだ…。

やがて次のトラックが係留所ピット前に横付けした。
ヒデさんが駆け寄り、運転手と話している。
再びトラックが動き出し、バックでピットに入ってきた。

ヒデさんが大声で一平に言う。
「せんせー!足悪いの1頭、お願いします。」
「はーい!」
ピットに駆け寄り、トラックの中で後ろ足が立たない豚を1頭見つけた。
「乗せる時はなんでもなかったんだんだけどよ。」
ほかの豚を下ろしながらトラックの運転手が言う。
一平はトラックの荷台でその豚の尾をつかんで立たせてみるが、すぐへたり込んだ。
「これは病畜処理室でやります。そちらに回してください。」
「はいよ。」
運転手がトラックの荷台を閉める。
「せんせー、それ病畜な。」
近くにいたヒデさんが一平に聞いた。
「はい。お願いします。」
ヒデさんはすぐさまと畜受付に走り、やがて戻ってきた。

「いつも走りっぱなしですね。」
一平がヒデさんに声をかける。
ヒデさんは無精髭で外見は精悍な感じだが、クリっとした目でなかなか愛嬌がある。
「まあね。俺がさっさとやんないと、その日の仕事、なんにも始まんねえから。」
「せんせーだって一緒だろ?」
「そうですね。」

「トラックの方と仲良しなんですね。」
ヒデさんがどははっ、と笑う。
「仲良し?仲良しかどうかは相手に聞いてみないとわからんけど、お互いに話ができるぐらいにはなってるよ。」
「そうしとかんと大事なこと聞けないし、こっちの仕事も遅くなるからよ。」
「俺の頭ん中には、今、係留所のどこにどこの業者のどんなブランドの豚が何頭いて、その業者の次のトラックがいつ来るのかが、全部入ってる。これをもとに、どいつをいつ処理し、係留所のどこのスペースを空けておくかを決めてんのさ。」
「病畜になったらそれを受付に伝えるのも俺の仕事。そうしないと受付が混乱するからな。なんで、今積んでるやつのこととか、次の便のこととか、必要なことは全部運転手に聞いとくんだよ。」

なるほどそうか。
先に情報を掴んでおけば後手に回らない。

情報戦、ね。

それならこちらは情報を掴んだ人をひたすらマークしてればいいってことだ…。
要はできるだけヒデさんに絶えず話しかけるようにして情報をもらうようにしておく。そしてヒデさんが係留所のどこにいるか、常に自分の視野に入れとけばいい。そして係留所を離れなきゃいけない時は、シゲさんがこっちを視野に入れている時に動けば察知してくれるはずだ。
と畜受付担当者も要チェック。こちらとも繋がっておかないと…。

午後の入荷が始まった。
昼休み中は入荷させないルールだ。午前中入荷した分は昼休み中にチェックしてしまっていたので、午後から入荷する分を診るためにピットに陣取り、ヒデさんを徹底マークすることにした。

1台目のトラックが豚を下ろし終わったあと、ヒデさんが2台目のトラックの運転手から声をかけられた。
すかさず聞き耳を立てる。
豚の鳴き声や騒音でよく聞こえないが、ちらちらこちらを見ている素振りから、どうも一平に用事があるようだ。
1台目のチェックを終えてからすかさずヒデさんに目をやる。
するとヒデさんが手振りで2台目を指差し、人差し指を1本突き出した。
1頭いる、ってことだな…。

足早に駆け寄ると案の定、横腹と足が腫れている豚が1頭いた。
「じゃあ、病畜で。」
「あいよ。」
ヒデさんが受付に駆け込む。
受付のガラス戸の向こうにいる50代ぐらいの眼鏡をかけた女性職員にヒデさんが早口で伝える。
「丸精38頭、1頭病畜で。」
女性職員はヒデさんの後ろに立つ一平をちらりと見つつ、はい、と手短に返事をした。
そしてふっと笑い、窓口のガラス戸越しに一平に話しかけた。
「先生、勉強中?」
ヒデさんが足早に受付を出る。
一平も負けずに追いかけつつ、振り返りながら受付の女性職員に言った。
「はい!」

結局その日の入荷終了まで、一平はヒデさんをマークし続けた。
最後のトラックが出ていく頃には、一平はもうヒデさんの身振りとアイコンタクトで動けるようになっていた。

ピットをホースで洗い流しながらヒデさんが言う。
「せんせー、明日もこいや。また教えてやっからよ。」
「すみません。明日は内蔵検査と枝肉検査に回れって言われてます。」
「こっちまた来ますんで、そんときはよろしくお願いします!」
「おう、よろしくな!」
ヒデさんが手を挙げ、にっこり笑った。

その日の生体検査が終わったので、1日の入荷明細をもらいに受付に寄る。
「お疲れさまでした。」
「お疲れさま。はいこれ。」
受付のガラス戸越しに、女性職員がA4用紙数枚がホチキス止めされた入荷明細を一平に手渡した。
どこの業者の何頭分の入荷ロットがと畜処理番号の何番から何番までに付番されているかが、手書きでびっしり書き込まれている。
「あの時間の中で全部手書きで整理してるんですよね。」
「そう。で、ここのパソコンで合札を印刷してロットごとに束にして、ヒデさんに渡してあげてるの。」

合札。
俺らも検査で使ってる、と畜処理番号の書いてある紙のことだ。
濡れてもくしゃくしゃにならない、樹脂製の薄い紙でてきていて、そこにレーザープリンタで印字してある。
縦長で一番上に丸い穴が開いていて、同じ番号が数行印字してある。番号と番号の間には横にミシン目が入っていて、同じ番号の数枚の紙片に分けることができる。

豚を吊り上げる際に用いるハンガーに、あらかじめ合札を1枚、丸い穴を通して付けておく。
このハンガーで豚を吊り下げて初めて、その豚のと畜処理番号が決まる。
そして解体が進むにつれ、ミシン目で切りとった合札の紙片を枝肉から切り離したパーツに付けてあげることで、どのパーツがどの個体のものなのか、処理ラインの下流側の担当者へ伝わるしくみになっている。

と畜受付と係留所は、個体識別情報の起点でもある。間違いが許されない、とっても重要なポジションだ。

「あんなバタバタの中で合札作ってて、大変ですね。」
「何年もずっと、こればっかやってるからねえ。もう慣れちゃった。」
「今度、番号の付け方を教えてもらえませんか?」
女性職員はきょとんとした顔で一平を見る。
「?」
「え、いや、勉強熱心なんだなあ、と思って。」
「他の検査員だって聞いてきてるんじゃないですか?」
「ここの検査所の古株の先生はみんな合札の付け方知ってるけど、若い先生から聞かれたのは久しぶりよ。」
「ヒデさんとろくに話もしないで一日終わってる先生もいるみたい。係留所の中ぼーっと歩き回っているだけにしか見えないし、ヒデさんが教えてあげてようやく動くって感じで、一体何やってんのかねえって、ヒデさんよくこぼしてんのよ。」
「あ、ごめん。これ内緒ね。」
「先生みたいなの久しぶりだから、ヒデさん楽しそうだったわよ。」
「これからもよろしくね。私は三崎って言います。いつもここにいるから。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
一平は、では戻ります、と言い、係留所の外に出た。

昼下がりの日差しがまだ暑い。
カッパの中はぐっしょりベトベトだ。

早く検査所戻って、熱っついシャワーを一発浴びなきゃ!

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