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「いただきまーす!」 第32話

2020/11/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第32話

朝7時。
一平は山田と共に、まだ解体作業が始まっていないと畜場の懸肉室に向かった。
懸肉室を通り、それに続く予冷室に入ると、長く続くがらんどうの広い廊下のような部屋に、分厚いステンレス製のスライドドアが6つ並んでいる。
「どっこいしょ、っと。」
山田がそのうちの1枚スライドドアのノブに手をかけ、ゆっくりと開け、すぐ脇の照明スイッチを押した。

明るい天井照明が、どでかい部屋を照らし出す。
ここが豚の枝肉冷蔵室だ。
天井に何本もステンレスレールが張り巡らされており、1本のレールに約50頭、計300頭近くの豚の枝肉が、ここで出荷を待っている。
このと畜場にはこの大きな冷蔵室が全部で6室ある。

当たり前に、寒い。鼻の奥が凍りつく感じ。
部屋全体が凍りついているので、うっかり歩くと転んでしまう。
ハンガーに掛けられて整然と並ぶ枝肉のカーテンを横目に見ながら、壁づたいに慎重に冷蔵室の奥へと進むと、もう一枚のスライドドアにたどり着いた。
「一平君、開けてみて。」
はい、と言い、ノブをつかみ、手の力だけで開けようとするが、びくともしない。今度は両手を掛けて体重を乗せ、一気にドアをスライドさせた。

山田と一平は、開けたドアの奥に続くエリアに出た。
そこは横に体育館半分ほどの広いスペース。
背後には今出てきたばかりのドアと同じスライドドアが6基並び、正面には外から枝肉運搬用の保冷トラックの荷台を隙間なく密着させることができるドックシェルターのシャッターが6基。
天井にはやはりステンレスレールが縦横に張り巡らされており、ここで冷蔵室から出した枝肉を仕分けし、トラックに乗せて出荷するのだ。

山田と一平が朝一番にここに来たのは、保冷車と呼ばれる、冷蔵機能を持ち、枝肉を積み込んで出荷する大型車の衛生状態を監視するためだ。
と畜場でどんなに一生懸命がんばって衛生的に作っても、保冷車の荷台の内部が汚れていたり、きちんと冷蔵できない保冷車で枝肉が運ばれてしまうと、枝肉が保冷車内部の汚れや雑菌で汚されてしまう。
保冷車の定期的なチェックは、とても大事だ。

「じゃあ、1番と4番がシャッター開いてるから、そっからチェックしよう。」
山田がチェックシートを挟んだバインダーを一平に渡した後、スマホで電話をかける。
「ナベさん、1番と4番ドックの車、業者さんとナンバー教えて。」
「おう、こっちもさんむいよお。さっさと終わらせようや。1番は…。」
電話の相手は同じ指導課の渡辺。渡辺はと畜場の外、出荷ピットでトラックを待ち受け、ドックシェルターにつけたトラックの外観やナンバーを確認し、山田に伝えている。

えっと…。庫内の冷却状態、荷台内部のあおり戸や床、天井の汚れや錆び、枝肉に接触する部分の衛生状態は、っと…。

一平がチェックシートに従って衛生状態をチェックしていく。
ここはこうやって見るのよ、と、山田が横でアドバイスしていると、白衣と白長靴、ヘルメット、マスク姿の男性が近づいてきた。がっしりとした体格だがマスクごしに覗くクリっとした目に愛嬌がある。
「山田先生、おはようございます。」
「あら、おはよう!しばらくぶりね。元気そうじゃん。」
「先生、検査所来ちゃったからあんまし会えなくなっちゃいましたね。また店に来てくださいよ。」
「あー、ごめん、行く行く!」
「うちの保冷車、どっかダメなとこありましたか?」
「いやいや、バッチリよ。これからもよろしくね。」
「ありがとうございます。じゃあ積み込みしますんで。」
そう言うとハンガーに掛かった枝肉の片側を軽々と外して肩に担ぎ、荷台へと運び込み始めた。
「相変わらずの力持ちねえ。」
「これしか取り柄ないもんで。」
へへっと笑い、次の枝肉を取りに戻って行く。

「あの子は岩崎精肉店の跡取り息子よ。柔道3段だって。」
後ろ姿を頼もしそうに見ながら、山田が言った。
「へえ…。」

豚の枝肉って、片側ひとつで40キロ近くはあるはずなんだけどな…。こんなの毎朝やってんのか…。

「さ、次やるよ。」
はい、と応じ、一平は4番ドックに向かう山田の後を追った。

その日の夕方、一平はロビンにいた。

「お待たせしました、ハンバーグセットです。」
優子がテーブルに主菜の皿とライスを置く。
「ねえ田中さん、うちのハンバーグ、どうですか?」
「え?すっごくおいしいよ。どうして?」
「マスターのハンバーグすっごくおいしいの、私もよく分かってるんだけど、なんかテレビなんかで見てると、見た目ももうちょっとインパクトあってもいいかな、なんて最近思ったりするんですけどね。」
「このままで十分だと思うけどなあ。」
「そうですか?」
「そうだよ。」
「私、レストランで働くの楽しくて、自分だったらこんな風に出してみたいな、なんて考えるの好きなんですよね。」
「自分のお店持てたら、なあんてね!」
「へー、いいねえ!応援するよ!」
「え、うれしい!」
パスタはどうですか?そうだね、俺だったらペスカトーレとか、と二人が話し込んでいると、厨房の奥の裏口から、ちわー、肉屋です、と声が聞こえてきた。
よう、ごくろうさん、とマスターが応じ、厨房の奥から男が顔を覗かせた。
優子が軽く手を上げ、声をかける。
「あ、タケちゃん、お疲れ。」
「よう。」
優子と同年代ぐらいの若い男。がっしりとした体格、クリっとした目に愛嬌がある。
ん?クリっとした目?がっしり?

男は一平と優子をじっと見ている。
ふと一平と目が合った。

ん?

「じゃあ毎度です。」
マスターに挨拶をし、男は厨房の奥に消えていった。
「あとでコーヒー持ってきますね。」
優子が厨房に戻って行く。

それにしても、ここのハンバーグはいつ食っても旨いなあ…。

ふと窓の外を見ると、岩崎精肉店と書かれた白い軽ワゴン車の脇でさっきの男と優子が話し込んでいる。
いや、モメてる?

だんだん二人がヒートアップして、声が大きくなってきた。
思わず窓越しに聞き耳を立てた。

「だからおばあちゃんのアパートの人だってば!」
「えー、あんな親しげに話すのかよ!」
「悪い?別にタケちゃんに関係ないでしょ!」
「あー、関係ねえよ!」
「保育園の時からずっとそう!いっつも突っかかってきて、あたしの何が気にくわないの!」
「別になんでもねえよ!」
男は軽ワゴン車に乗り込んでバタンとドアを閉めるやいなや、車を急発進させて去って行った。

厨房奥の勝手口から優子が戻ってくる。
洗い場の皿を睨み付けるとガチャガチャと音を立てて片付け始めた。
「おいおい、そっとやってくれよ。」
堪らずマスターが宥めにかかる。
「すみません。タケちゃんがまた突っかかって来たもんだから、ついカッとしちゃって…。」

俺が持ってくからさ、と優子に言い、マスターが一平にコーヒーを持ってきた。
「すみませんね、うるさくしちゃって。」
「あ、いや、大丈夫ですから。」
「さっきの肉屋さん、優子ちゃんの幼馴染みなんですよ。」
「岩崎精肉店の息子さん。いい子なんだけど、優子ちゃんと顔合わせるとなんでかいつもあんな感じ。」
「仲良すぎるのかなあ…。」
マスターがニヤリと笑う。

あ、やっぱり、ね…。

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