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「いただきまーす!」 第34話

2020/12/13
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第34話

「なんかいい手ないっすかねえ…。」
一平が指導課の自席で、椅子をギシギシいわせながら、隣に座っている津田に呟く。
「ちょっと、なあ…。」
津田が検査所事務室の天井を仰ぎながら、ぼんやり返した。

「何やってんだ、二人とも。」
我妻が天井を仰いでいる津田の顔を上から覗き込む。
「あ、係長。」
津田が慌てて椅子に座り直した。
「いや、岩崎精肉店の剛君の相談に乗ってたんですけど、ちょっと行き詰まっちゃって…。」
「タケシ?ああ、あの柔道3段の跡取り息子か?」

津田が剛からの相談事を我妻に話した。
「そうか…。食品衛生管理者な。」
「けど、他で見つけるなんて、簡単じゃないですよね。」
「この辺住んでて、食品の許認可とか表示とか、ハム、ソーセージ製造工程の管理できる知識があって、管理者の資格とれる人、なあんて人、いませんよねえ。」
「食品の知識なくてもいいよ、としたとしても、獣医さんとか薬剤師さんとか、免許持ってる人はみんな仕事してんだろうし…。」
「僕らがなってあげる、って訳にもいかないし…。」
「やっぱ、頑張って自分で取る方向でおやじさんと話してみたら、って言った方がいいんすかね。」
「そうだなあ…。」
「俺は里崎が地元なんで、こっちの事情はあんまり詳しくないな…。」

「こういう時は、あいつだな。」
我妻が顎をしゃくった先は、自席で巨体を丸めてパソコンに向かっている石川課長だった。
「なんだよ。何か用か?」
石川がパソコンから顔も上げずに応じる。
「おう。大体聞いてただろ。どうだ、いるか?」
石川がゆっくりと顔を上げ、黒縁メガネの奥の大きな目玉をぎょろりと向けた。
「いないことは、ない。」
「ほう…。で?」
「普通にあたってもだめだろうな。俺なんか役に立たんよ、なんて言われて、やんわりと断られるだろう。」
「俺が知ってる人か?」
「決まったら教えてやる。」
「おい、あの人か?」
我妻が眉を上げる。
石川がニヤリと笑った。
「なるほどね。確かにいたな…。」
「ああ。あとはどうやって本人に分かった、って言わせるか、だ。」
「ちょっと仕掛けてみるか…。あ、いいところに来た。山田、ちょっと手伝え。」
事務室に入ってきた山田が、怪訝な顔をしながら我妻と石川を見比べる。
「なによ、二人して。」
まあいいから、と我妻が山田を促し、石川の席でなにやら3人でひそひそ話を始めた。

「なんだろね。」
津田が隣の一平の顔を見やる。
「さあ…。」
一平も首をかしげた。

その日の午後。
「あ、田中君、いいとこ来た!ちょっと来て!」
現場検査を終え、検査所の通用口側更衣室から廊下に出てきた一平を見つけるやいなや、木村が細菌検査室のドアから顔を出しながら、一平に手招きした。
「なんすか?」
「いいから入って!」
細菌検査室のドアを開けると、石川課長と松田がA4コピー用紙をめくりながら何やら話し込んでいる。
「君島食検の結城さんからメール来たの。」
「君島食検…。ああ、この前微生物部会で会った人ですよね。」
あん時のちょいカッコいい奴…。

「そう!」
「見て!」
松田がコピー用紙を一平に渡した。
斜体の英字がびっしりと並んでいる。菌株のリストだ。
「君島食検の保存菌株で私のLAMP法を試してくれたの。そのリストよ。全部で528株!」
「結果はバッチリ!豚丹毒菌には正しく反応して全部陽性の結果が出て、それ以外の菌株は全部陰性!」
「すごいじゃないですか!」
「えっへん!たいしたもんでしょ!」
「こら!お前一人ででかした反応系じゃないだろうが!」
石川がぎらりと木村を睨む。
「もちろんですよ!松田さんにもさっきお礼言いましたよ。ねえ、松田さん?」
「え!あ、ええ…。」
振られた松田が真っ赤な顔で、おどおどしながら頭を掻く。

「あとね、聞いてよ、田中君!結城さんが他の検査所にも声かけてくれて、あと4つの検査所が手を挙げてくれたって!」
「トライする株、1000のオーダーを余裕で超えるわよ!」
きゃっほー!と、木村が小躍りする。

石川がゆっくりと体を木村と一平に向けた。
「時間がないからこの秋の学会発表は、まずお前のデータで出す。次回はそれぞれの検査所から追試データを各自で学会に出してもらうか、それとも共同研究に位置付けて連名で1本にまとめるか、だ。」
「君島はじめ、他の検査所の検査課長との調整窓口は、俺がやる。」
「その前に木村、お前ら担当としては、どういう落とし所がいいのか。まずそれをみんなで話し合っとけ。」
「次は英字の学術雑誌に投稿だ。わかったか?」
「はーい!」
ビシッと、木村が右手を高々と上げた。

一平は準備室に向かう松田を追いかけ、松田に近づくと小さな声で囁いた。
「松田さん、顔、真っ赤ですよ。」
松田がどきりとしながら振り向き、一平に耳打ちする。
「え!ああ…。いやあ、さっき、ハグされちゃって…。木村さんに…。」
「細菌室にいきなり飛び込んできて、ガバッと…。いやあ、まいったなあ…。」
松田はさらに顔を赤くしながら頭を掻く。

ハ、ハグぅ?!!
うおおおっ!う、羨ましいぞおっ!

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