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「いただきまーす!」 第37話

2021/01/10
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第37話

深夜。

いきなり昼間のような明るさになったかと思うや否や、壁が壊れるかと思うぐらいの雷鳴が地鳴りのように轟いた。
アパートで寝ていた一平は、さすがに飛び起き、カーテンを開けて真っ暗な窓の外を見る。
街灯の明かりを頼りに様子を伺う。
昨日から続く台風並みのもの凄い風が相変わらず吹き荒れ、木々が倒れんばかりだ。時折、バケツをひっくり返したような強雨が窓を襲い、何も見えなくなる。
とたんに再び閃光が走り、窓ガラスが割れるかと思うほどの雷鳴が轟き渡った。

なんじゃ、これ…。

ま、寝よ。

すごすごと布団に戻り、掛け布団を頭まで被ると、布団の暖かみですぐに深い眠りに落ちた。

朝、目が覚めても強い風が吹き荒れている。
空は憂鬱になるぐらいの鉛色だ。

ため息をつきながら外へ出た。強風で冷気が体に突き刺さる。

縮み上がりながら自分の車に駆け寄ると、車の前で大家の神代ばあちゃんと会った。
「おはようございます。」
「あら、おはようございます。今日はお仕事ですか?昨日はひどいカミナリでしたねえ。」
「ほんと、すんごいカミナリでした。思わず飛び起きましたよ。」
「ここいらじゃ今時分、いつもこうなんですよ。冬になる前のこの時期、必ずカミナリ様がゴロゴロって。」
神代ばあちゃんがケラケラ笑う。
「冬将軍が来た、って言ってますけどね。」
「冬将軍、ですか?」
「そう。冬将軍。そして将軍様が来る頃にもうひとつ。」
「海にハタハタがどっさりやってくるの。」
「ハタハタ?」
「焼いて甘味噌つけて味噌田楽にしたり、湯引きにしてポン酢なんかでいただくの。」
「ハタハタの卵はブリコって言って、醤油で煮て食べるの。おやつがわりによく食べたものよ。」
「とーっても美味しいのよ。」
「だから私、将軍様が来ると、またハタハタ食べれるな、って、ちょっと嬉しくなっちゃう。」
「知り合いがハタハタ捕るの大好きで毎年どっさり持ってきてくれるから、頂いたらお裾分けしますね。」
「あ、そりゃ楽しみです。ぜひ頂きます。」
じゃあ行ってきます、と一平は車に乗り込み、検査所へと走り出した。

例年、年末年始やゴールデンウィークは肉の需要が増える。また長期間と畜処理をしないとその間に農場で豚が大きく育ち過ぎてしまい、肉質が低下してしまう。主にこのふたつの問題を解決するために、と畜場ではこの時期、休日も開場して枝肉を増産する。これを臨時開場という。
一平が勤務する郷浜食肉衛生検査所が所管すると畜場では今日、今シーズン1回目の臨時開場が行われていた。
一平は朝一番、我妻係長と共に豚の内蔵検査に入っていた。

51番、胸膜炎っと…。

現場野帳に記入し、再びナイフを手に取り、次の内蔵にとりかかる。
すると突然、我妻が怒鳴った。
「おい、一平!疣だ!ちょっとやっとけ!」
内蔵検査台で内蔵コンベアの下流側に立っていた我妻係長が、いきなり解体ラインの停止ボタンを押して心臓の弁に疣状の病変を呈した豚の内蔵全部を足元のコンテナに放り込むと、背後で頭検査をしていた渡辺とアイコンタクトしながら内蔵検査台を降りていく。
かと思えば各所に大声で指示を飛ばし、あっという間に戻ってきた。
「いくぞ。」
我妻が停止ボタンを戻し、解体ラインを再起動させる。

豚の疣状心内膜炎には一平も現場で何回も出くわしているので、もう現場対応で慌てることはなくなっていた。

けどさ、今日の培地への接種は俺がやんなきゃいけないんだよな…。
ヘタこかないようにしなきゃ、あとで石川課長に何言われっかわかんねえ…。

試験室内検査は原則、検査課の職員が担当することになっている。しかし厳密に分業してしまうと、検査課の職員の休日の確保が難しくなってしまう。そこで郷浜食検では、日常的に遭遇する疾病の検査手法を指導課の職員にあらかじめ引き継ぎをしておき、検査課職員が不在でもある程度まで検査を進められるような体制を組んでいた。

木村さんとの検査引き継ぎの日々、楽しかったなあ…。
ああ、いっそ、検査課にしてもらおうか…。

一平はマスクの下でニヤつきながら、目の前の豚の内蔵を捌いていた。

その日の午後、一平は一人で、細菌検査室で午前中にサンプリングした豚の内蔵を培地に接種していた。
と、細菌検査室のスライドドアがガラッと開き、我妻係長がずいっと入ってきた。
「おい一平、お前タイヤ替えてないのか?」
「あ、タイヤっすか?まだですけど…。」
「アホか!明日雪になるぞ!あるのか?スタッドレスタイヤ。」
「ええ、車の後ろに積んでます。明日あたりに履き替えようかなと思ってました。」
「あるならちゃんと履き替えとけ!今日中にやっとかないと大変だぞ。」
「分かりました。そうします。」
全くもうしっかりしろよ、事故るんじゃねえぞ、と言いながら、我妻が細菌検査室を出ていく。

おっと、使う培地、間違っちゃった。
えーと、どこだっけか…。

再び細菌検査室のスライドドアが開き、今度は渡辺が顔を出す。
「田中君、頭検査でしょ、始まっちゃうよ。」
「あ、そうでした!今行きます!」
まずは行かなきゃ、と、バタバタと実験台を片付け、細菌検査室を飛び出してと畜場へ駆け出した。

結局その日は万事、後手後手に回りながら雑事に追いまくられ、あたりがすっかり暗くなってからやっとの思いでアパートに戻った。
郵便受けに神代ばあちゃんのメモが入っている。
ハタハタ届いたから明日取りに来て、と書いてあった。

ありがと、ばあちゃん。
それにしても、やっと今日が終わった。やれやれ…。
明日は日曜。のんびりだな…。

うー、さむ…。
鍋焼うどんでもしましょかね、っと、鍋を火にかけ、冷蔵庫を漁る。
部屋のストーブをつけ、暖をとりながらビールを飲んだ。

あー、うんめー。
あれ、妙に静かだ。外の風、おさまったみたいだな…。
出来上がった鍋焼きうどんをすすりながらぼんやり外の音に耳をすます。

自分がうどんをすする音しかしない。
何かこのあたり、俺しかいないみたいだ…。
鍋焼うどんですっかり暖まり、だらだらと過ごした後、眠気に任せて布団に入る。

翌朝、すっかり明るくなってから目が覚めた。
あー、よく寝た…。
どれ、今日は何しよっかな…。
今日は静かだな。何か昨日よりちょっと暖かい気もするし…。

窓の外を見ようとカーテンを開けた。
と、いきなり辺り一面、真っ白に染まった景色が一平の目玉に飛び込んできた。
鉛色の空からは斜めになって雪がさらさらと降り続けている。
一平の車の屋根の上には、こんもりと雪が降り積もっていた。

あーあ…。
タイヤ取っ替えてねえわ…。

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