長く勤めた自分にしか書けない、そんな記事を。

「いただきまーす!」 第41話

2021/02/07
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第41話

厳しい寒さが続く、ある日の午後。
一平は病畜の検査を終え、と畜場2階のと畜検査員控室に向かった。

控室のドアを開けると、検査課の松田と再任用職員の安藤がテーブルでお茶を飲んで話していた。
「お疲れさん。」
安藤が一平に気付き、自分のごま塩坊主頭を撫でながら声をかけた。
「お疲れさまです。」
一平は装備品を流しに置き、さぶざぶと顔を洗う。

「だからさ、春からは里崎食検の指導課だって。」
「そうですかねえ…。」
安藤の言葉に松田がぼんやりと返す。
「俺の予想では、だけどな。」
「田中君は保健所決定だもんな。」
安藤は、今度は顔をタオルで拭いている一平に話を振る。
「来年の異動の話ですか?」
「そうだよ。年を越えた今は、来年の異動予想。これっきゃないっしょ!」
「ただ、里崎システムが全面稼働してる今となっては、専門技術担当、地域コミュニケーション担当、総合調整担当の異動スケジュールは複数年計画で出来上がってて、大体分かっちゃってる。だから、予想も何もありゃしない。」

「予想がつかないのは定型業務担当だけ。」
「でも同じ定型業務担当でも、新人君は2年目は最初と違う職域ってルールになってるから、こっちも予想のしがいがない。」
「田中君は来年保健所って、もう言われてるだろ?」
「ええ。どこの保健所、とまでは言われてないですけど。」
「そりゃそうだよ。でもどっかの保健所、ってことで決まり。」

「3年目以上の定型業務担当はどこに飛ばされるか皆目見当がつかないから、一番予想しがいがあるんだ。なあ、松田さん?」
安藤は、今度は松田に話を振った。
「僕はこれでいいんです。来年はどこで何やんのかな、ぐらいで。」
「僕にはこれが合ってるんですよ。」
松田が苦笑いしながら応じた。
「さっきからこれだよ、どう思う?田中君。」
「どうって…。いいんじゃないっすかね。」
「俺は若いうちはもっと仕事に欲というか、こだわりを持った方がいいんじゃないかと思ってるんだけどなあ…。」
安藤の言葉に、松田が困り顔で一平を見つめる。

「安藤さんは次、決まってるんですか?」
一平が装備品を棚に片付けながら聞いた。
「いや、俺も定型業務担当だからどこ飛ばされるか、さっぱり分かんねえ。」
安藤ががははっと笑う。
「なあんだ。松田さんの予想どころじゃないじゃないですか。」
「まあ県庁じゃあねえ、ってことは確かだな。」
松田の眉がピクリと動く。
「わかんないですよ。経験なくてもいいから来い、とか言われるかも…。」
「確かに県庁に定型業務担当が一人いるな。県庁無経験の再任用でも県庁担当、か…。」
「なるほど、桐生の野郎なら、人事のドミノ倒しのあげくにそんなこともやりかねないかもな。ああ、おっかねえ。」

「あ、検査室行かなきゃ、じゃあお疲れさまです。」
松田が腰を上げる。
「おう、お疲れさん。」
「松田さん、僕も手伝いますよ。」
一平が松田に手を振る。
「あ、助かるなあ。ちょっとお願いしてもいいですか?」
「ええ。じゃあ安藤さん、お疲れさまです。」
「おう、お疲れ。」
一平にそう言うと、安藤は顎に手を当てて天井を見上げ、またしても人事の予想にふけりはじめた。

松田と一平は控室を出て、と畜場玄関フロアに続く階段を降りていく。
「いや、一緒に現場あがってからずっとあればっかし。捕まっちゃって参ったよ。」
階段を降りながら松田が呟く。
「システム稼働前なんか、それこそこの時期、顔合わせるとみーんなこればっかし話してた。今は定型業務担当ぐらいしかやんなくなったけどね。」
「ストーブリーグ、って言葉、知ってる?」
「ストーブリーグ、ですか?」
「そう。野球とかで来年のスタッフ構成とか選手のトレードとか決めるのは秋から冬のオフシーズンじゃん?そんときにみんなでストーブを囲んで、あーでもない、こーでもない、って来季の人事をウワサし合う。それでストーブリーグ。」

「もう、ほっといて欲しいんだけどなあ…。」

へえ…。ストーブリーグ、ねえ…。

松田と一平は検査所に戻り、細菌検査室に入った。
細菌検査室では木村が実験台で英字の文献を読んでいた。

「あ、お疲れさま。」
文献を閉じ、木村が二人を迎える。
「お疲れさまです。じゃあ、やりますか…。」
木村にそう言うと、松田はふう、とため息をついた。
「あれ、どしたの松田さん。なんかぐったりしてない?」
「いやあ、また安藤さんに捕まっちゃって…。」
「またあのおっさん、要らんこと言ったのね。気にすることないってば。」
「あの年代、あれぐらいしか楽しみないんだから。」
「自分ではきちんと頭の整理できてるつもりなんですけど、ああやって言われ続けると、なんだかだんだんモヤモヤしちゃって…。」
「ほんと、ろくな事しないわねえ。」

「木村さんは来年どうなるか、大体決まってるんですか?」
一平が横から口を挟む。
木村は一平をちらりと見、続いて松田を見た。
「ああ。田中君も居合わせてたんだ。しょうがないなあ…。」

木村がふん、と鼻を鳴らしてから腕を組む。
「そう。大きな方針変更がなければ、お前は来年残留の予定だと言われてる。LAMPで学会発表と全国の食検とのコラボ始動という結果を出せたし、次年度以降、これを複数年のプロジェクトで進めることが上で決まったからね。LAMPが一段落するまでは、検査課の細菌検査専門技術担当としてここにいるわ。」
「石川課長も細菌検査の専門技術担当だけど、LAMPの立ち上げが終わったから、自分の役割は一段落。里崎食検の検査課スタッフの中に細菌検査担当が異動しそうだという話があるから、ひょっとしたら里崎食検の検査課に行くかもね。」
「他にも内々に決まってる人、いるんですか?」
「指導課なら、山田さんと津田さんは来年残留決定ね。二人とも地域コミュニケーション担当で、山田さんは今年郷浜保健所から郷浜食検に戻ったばかり。今年と来年で検査所の事案を津田さんから引き継ぎして、その次の年は津田さんが郷浜保健所に行くの。」
「我妻係長と渡辺さんは、と畜検査の専門技術担当。今年二人の引き継ぎが終わったの。来年、里崎食検のと畜検査専門技術担当が一人抜けるから、どっちかが里崎食検に行くわ。」
「決まってる、って言ったって、まあ、こんな程度よ。」
「定型業務担当以外のみんながみんな、どこ行くかガッチガチに決まってる、なんて訳じゃない。」
「各職場で抱えてる継続案件がきちんと引き継ぎできるように。そして、積み上げてきた経験や技術が途切れないように人を配置する、という大原則を貫いている。」
「ただそれだけ。」

「そこを最優先してまず全体の骨組みを作ってから、定型業務担当で人数やスタッフ構成を最終的に調整。なので定型業務担当はほんとにどこで何やるか、さっぱり予想がつかないの。」

「でもさ、今、自分はこの担当を選択するって、みんな自分で決めてるんだよ。だからみんな納得した上で、仕事も職場も引き受けてる。」
「私は、そう思ってる。」

「全くその通りです。」
松田が大きく頷いた。

「だからさ、どこに行こうが何をしようが、みんなそれぞれの立ち位置で、胸張って仕事するだけ。」
「ただ、それだけなんだってば。」

「そう…。そうなんですよね。」
松田が上気した顔を上げ、小さく微笑んだ。

「松田さんには今年、いっぱい手伝ってもらって、ほんとに感謝してます。ひょっとしたら、人事の玉突きが1周回って来年もまた一緒、なんてこともあるかもしれません。」
「そんときはどうか、よろしくお願いします!」
木村が松田に右手を差し出す。
松田は自分の右手をゴシゴシと白衣に擦り付けた後、木村の手をがっしと掴んだ。
「いや、こちらこそ!よろしくお願いします!」

「さ、やりますか!田中君、1リットルメスシリンダー1本と500ccビーカー3個持ってきて。」
「了解!」
一平が器具を取りに準備室に向かう。

「松田さん、ここなんだけど…。」
木村はさっきまで読んでいた英字文献をめくり、松田と打ち合わせを始めた。

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