長く勤めた自分にしか書けない、そんな記事を。

「いただきまーす!」 第43話

2021/02/26
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第43話

「そうか…。」
と畜場の内蔵肉処理室での衛生監視を終えた我妻係長と津田は、内蔵肉処理室の出入口にある、サニタリーと呼ばれる部屋にいた。内臓肉処理室へ出入りするためには毎回ここで専用の長靴に履き替え、手洗いをしなければならない。

津田は日頃の言動に加え、先日の指導課の課内会議での安藤の態度に違和感を感じていた。
そこで少し前に一平から聞き付けていた、と畜検査員控室での松田と安藤のやりとり、そしてその後の細菌検査室での木村と松田のやりとりを、衛生監視の合間に我妻に話していた。

我妻はグローブを外して手洗いしながらふっと息を吐いた後、紙タオルで手を拭いながら津田に顔を向ける。
「津田。お前にも少し話しておいた方がいいかもな。今夜時間あるか?」
「大丈夫です。」
「じゃあ、ほのかで。」
「はい。」

その日の夜。
我妻と津田は、ほのかののれんをくぐる。
「いらっしゃい。おや、我妻さんと津田さん、お二人で。」
カウンターにいたおやじさんが、いつもの笑顔で二人を迎える。
すいません、ここ、いいですか、と言い、我妻は津田と共に小上がりに座った。

おかみさんが小上がりに付き出しと箸を持ってきた。
「今日も寒いですねえ。何にします?」
「寒鱈汁と、あとは適当に。」
「うほ、寒鱈汁ですか!やったあ!」
「ここのは頼んでから作るんだ。なあ、おかみさん?」
「そうなの。作りおきするとどうしても煮詰まっちゃうし、具も固くなったり崩れちゃったり。寒鱈汁はやっぱり出来立てが一番ね。」
「早く出せるやつ出しとくから、ちょっと待ってて下さいね。」
じゃあまずはビールと煮物で、と頼み、二人で付き出しをつつく。
「津田は寒鱈、食ったか?」
「そりゃもう。この時期、寒鱈食わなきゃウソですよ。」
「だよな。けどよ、この冬のシメに、も一回、食ってみたくなっちまってな。」
「あ、同感です。」

おかみさんがビールと煮物を持ってきた。
ジョッキをカチリと合わせ、共にぐいっと一口あおる。
ふー、うめえ、と言い、我妻が煮物の鶏肉を頬張った。
「酔う前に話しとく。」
「安藤さんのことなんだけどな。」
煮物の椎茸をつついていた津田の箸が、止まる。
「どこまで知ってる?」
「里崎食検の主幹で終わって同じ里崎食検で再任用。2年目の今年度は郷浜食検。」
「里崎システムは嫌ってるみたいかな、と。」

「嫌ってる?そんなもんじゃない。」
「システム反対派の急先鋒だった。」
「俺らシステムを立ち上げようとする勢力に真っ向から潰しをかけてきた人の一人だ。」
「当時県庁の課長補佐だった桐生課長なんか、反対派の息のかかった県会議員まで担ぎ出されて、えげつない嫌がらせを受けたもんだ。」
「経験の長い先輩職員を重んじ、順序正しく後を引き継いでいくことこそ大事だ。お前らはこれまでの先輩方が築き上げてきた歴史と伝統ある県の衛生獣医師の組織をぶち壊すつもりか、とな。」
「ところがある日を境に、その県会議員の鼻息が突然弱くなり、最終的に俺らが勝った。どうやって状況をひっくり返したは俺もよく知らん。俺らを支持していた当時の県庁の課長や一部の賛成派の上司が暗躍し、その県会議員や反対派を黙らせたようだ。」
我妻はビールをちびりと飲む。

「定年後に後輩から丁重なおもてなしを受けつつ安楽な仕事だけして再任用生活を送りたかった安藤さんにとって、俺らは憎むべき敵だ。」
「パシリみたいに扱われて、あげく定年後も単身赴任させられているんだからな。」
「でもな、そうなっちまったのは安藤さん自身の行動に問題があったからだ。」
「定年後、最初はと畜検査の専門技術担当に手を上げたんだが、その年、ただと畜検査してただけで、責任の重い仕事は全部パス。後輩の指導や後継者育成なんか、なんにもしなかった。」
「と畜場の繁忙期だろうが出張で現場要員が不足しようがお構いなしに、ご隠居気分で好き放題に休みを取りまくった。」
「専門技術担当は他エリアでの勤務も前提となる担当だってことはお前も知ってるだろ?なのに自宅に近い里崎食検で65才までずっと仕事させろと人事のヒアリングで要求してきた。それが当時の里崎食検の所長の逆鱗に触れ、また、桐生課長の知るところとなり、定型業務担当に落とされた。」
「で、今、郷浜食検にいる。」

「そんなにされてもまだ県職にいるんですね。なんで辞めないんだろ。僕なら辞めちゃいますけどね。」
「60過ぎてから全く新しい仕事を一生懸命探して一から覚えるより、今までやってた仕事をやってお金もらった方がずっと楽だろ?もらえる金額も分かっちゃってるしな。」
「年金もらえる年になるまでは、絶対やめないさ、あの人は。自分が損をする判断は、絶対にしない。」
「そして県にいる間中、毒を吐き続けるのさ。そうやって、自分を冷遇した俺らに仕返しをしている。」

「実は安藤さんみたいな人が、そこここで毒を吐き続けていること自体は、対した問題じゃない。」
「安藤さんのような考え方に共鳴する若手がいるんだ。」

「リスクのある仕事をのらりくらりとかわして誰かに押し付けていれば、自分は失敗しないからキャリアにも傷が付かない。そうやってひたすら無難に日々をこなし、じっと年数だけ積み上げていきさえすれば、手間暇かけて技術を身に付けたり、訳の分からん住民や営業者相手に冷や汗かかなくたって、勝手に給料は上がる。人事権や予算配分を行使できる地位にもありつける。こんな楽な話はないじゃあないか。」
「仕事なんかやんなくたって、自分の人事評価の書類に綺麗な言葉を書き連ねてくれる所属長さえ担ぎ上げておけば、書類でしか職員を審査できない県庁の人事当局になんか分かりゃあしない。実務なんか一部のくそ真面目な奴らにやらせとけばいいさ、とな。」
「そいつらが共鳴し合って再び反対派として力をつけ、あわよくば人事権を握ろうと画策する。これを俺達は一番恐れる。」

持ち手を握りしめたままジョッキを見つめ、我妻が続ける。
「そもそも俺らが仕掛け、やってきた、無謀とも言えるこの実験は、これでよかったのか。」
「こっから長く仕事していく若い奴等にとっては、別にどうでもいいことに過ぎないんじゃないのか。」
「俺らは毎日、そんなことを自問自答しているのさ。」

「しょせん俺らもそのうち退職する。」
「その時、あっけなくシステムが崩壊するのか、どうか…。」
「それはお前ら世代が選択することだ。」
我妻がビールの残りをぐいっと飲み干し、空のジョッキをテーブルにコトリと置いた。

ゆっくりと顔を上げ、我妻が津田の目を見つめる。
「お前らが何を選んでも、俺らはそれを受け入れる。」
「その腹だけは括ってるんだ。」

津田は我妻の眼差しを真っ直ぐ受け止める。
「答えは出てません。多分、僕だけじゃない。」
「ただ、みんな、色々感じ始めている。考え始めている。」
「それだけは確かです。多分ですけど。」

我妻の目元が少しだけ緩む。
「それでいい。」
我妻が煮物のタケノコを箸でつまみ、口に放り込んだ。
もごもごいわせながら、続ける。
「それでいいんだ。」

「おまちどうさま、寒鱈汁よ。」
おかみさんが小上がりに近づき、大きなドンブリをふたつ、テーブルにどんと置いた。
「あら、ビールなくなっちゃたわね。おかわりします?」
「いや、酒にしてください。1本持ってきてくれますか?」
我妻がカウンター脇の冷蔵ショーケースを指差した。
「じゃあ、いつもの吟醸、ね。」
おかみさんがいそいそとカウンターに戻り、吟醸酒の四合瓶とぐい飲みをふたつ、持ってきた。
我妻がほれ、と津田にぐい飲みを渡し、吟醸酒をどくどくと注ぐ。
自分のぐい飲みにもなみなみと注ぎ、津田に向かってずいっと差し出した。
「よし、食うか。」
「ええ、食いましょう。」
ぐい飲みをがちんと合わせ、きゅっと口に含む。
とたんにフルーティな吟醸香が鼻腔いっぱいに広がった。
「あー、旨いですね!」
「そーだろ?」
「こっちもいいぞ。」
我妻がドンブリを指差した。
「いただきまーす!」
津田がドンブリを持ち上げ、そのまま口を付けてずずっと汁をすする。

「かー、うめえ!あれ、なんでだろ?嫁さんが作ったのと全然違う!」
「あーら、嬉しい。だけどそんなこと言っちゃ、奥さん可愛そうじゃない。」
おかみさんがけらけらと笑う。
「いい鱈使ってるからですか?」
「いえいえ、普通に売ってるやつよ。ただちょいと作るコツがあるだけ。」
「え?具材を全部鍋に入れて煮て、味噌入れるだけでいいんじゃないんですか?」
おかみさんがチッチッチッ、と人差し指を振り、神妙な面持ちで津田に言う。
「あのね、これから言う順番どおりにやんなきゃダメなのよ。」

「まずナベで昆布ダシをとるの。そしたら鱈のキモをまず入れてしばらく煮る。」
「続いてアラを入れて丁寧にアク取りしながら鱈のダシをとる。」
「でもって味噌と酒粕入れて味噌汁をでかしちゃう。」
「え?アラ汁をまず作る、ってことですか?」
「そうよ。そしたら鱈の切り身と白子、豆腐とネギを入れて数分煮る。」
「あとはドンブリによそって岩のり散らして、はいできあがり。」
おかみさんが両手を広げ、テーブルのドンブリを示した。

「なーるほど!帰ったら嫁さんに教えます!」
「地元の人でもおいしい作り方知らないこと、意外とあるのよね。おすすめだから、試してみてくださいね。」
「ありがとうございます!」
津田が白子をつまみ、口に放り込む。
ふんわりとした食感と共に、鱈の濃厚なダシが口いっぱいに広がった。
再び吟醸酒をぐいっとあおる。
「いや、うまいっすわ!」
「そりゃ、よかった。」
我妻はそう言って嬉しそうに微笑み、ぐい飲みを一気にあおると、箸を持ち直し、ドンブリを睨み付けた。
「よし、俺も食うぞお!」

あのなあ、この頭んところがな、いやいやこの胸ビレんとこですよ、と言いながら二人がドンブリをつついている。

カウンターの中で一人、津田達とおかみさんとのやりとりを眺めていたおやじさんは、小さく微笑んだ後、まな板に長ネギをとんと置き、流れるような手付きで刻み始めた。

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