長く勤めた自分にしか書けない、そんな記事を。

「いただきまーす!」 第44話

2021/02/28
 
 
 
この記事を書いている人 - WRITER -
アバター
たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

<最初(目次)へ>  <前へ>  <次へ>

第44話

2月。
アパート出口には毎朝、雪の塊が押し付けられている。除雪車が道路の除雪をしていく際に道路脇に残していくのだ。
降り積もったばかりの普通の雪ならよほど降らない限り車で踏み潰して出ていけるが、どこからか押してきた雪はもう凍りついていて、岩ぐらいに固くなっている。
こればかりは自力で片付けるしかない。

「こんちくしょ、っと!」
氷の塊をステンレス製の四角いスコップで割りながら、少しずつ出口脇に片付けていく。

ったく毎朝、まずこれで体力もってかれるよなあ…。
今日は休みだから、まあいいけど…。

ようやく1台分の間口を開け、車を出す。

一平の車はロビンに着いた。
駐車場でジャケットの雪を払い、店内に入る。
「こんちわ。」
「いらっしゃいませ。あ、田中さん。」
優子がいつもの笑顔で迎える。

一平が窓際のテーブル席に着くと、優子が水の入ったグラスをテーブルに置いた。
「なんかお店に来るの、久しぶりですね。」
「いやあ寒くなったらすっかり出不精になっちゃって。部屋でモソモソと有り物食って過ごしててさ。」
「今日は久しぶりにここでランチでも食べよかな、と思って。」
じゃあ日替わりランチでいいですね、と言い、優子はカウンターに戻った。

窓からぼんやりと駐車場に置かれた自分の車を眺める。
さっき停めたばかりなのに、もう雪でフロントガラスが白くなってる…。

小さくため息をつきながら手元の週刊紙をパラパラとめくり始めた。

やがて優子がランチをのせたトレイを持ってきた。
「今日はピラフスペシャルです。」
「?」
「ピラフスペシャル?」
「うちの定番エビピラフに粗挽きフランクフルト2本乗せ。あとはサラダとスープ、です。」
「これ、ぶっといね!」
一平がフランクフルトを指差す。
「そう。だからスペシャル。」
優子がけらけら笑う。
「うまそー。いただきまーす。」
早速、一平がフランクフルトにフォークを突き刺し、一口かぶりつく。
「お、スパイス効いてて、中、ぷりっぷりじゃん!」
「でしょ!これ見つけるの苦労したんだから、ってマスターが言ってたの。」
優子が嬉しそうに頷いた。

「あ、そうそう、実はまたひとつお願いしたいことあるんだけど。清十郎のことで。」
「清十郎?」
「最近、耳を気にしてひっきりなしに掻いてるから、一回獣医さんに連れてってもらえないかって、おばあちゃんから頼まれちゃって。」
「お父さん、生返事ばかりで中々車出してくれなくて、どうしようかと思ってたの。」
「あいつしょっちゅう脱走するからなあ。どっかでなんかもらってきたんだな。」
サラダをもりもり食べていた一平が、フォークを置く。
「清十郎とは大晦日を共に過ごした仲だから。いいよ、俺、車出すよ。明日なら大丈夫。」
「え、ほんとですか!ありがとうございます!」
おっと、じゃあ、あとで連絡します、と言い、優子は店に入ってきた別の客のもとへと駆け出していった。

翌日。
一平は優子を乗せ、清十郎のかかりつけの大戸動物病院へと車を走らせた。
凍りついた轍や吹きだまりにタイヤをとられながら、ゆっくりと進んでいく。
「ほんと助かりました。」
優子の膝の上で、洗濯ネットに入った清十郎が不機嫌そうな顔で一平を睨み付けている。
恨み言でも言いそうな顔付きだが、確かに時折、頭を振っては後ろ足で耳を掻こうとモゾモゾしていた。

「なるほど、痒そうだね。」
「そうなんですよ。早くなんとかしてあげたくて。」

いい飼い主に飼われて、お前は幸せ者だなあ…。

やがて大戸動物病院にたどり着いた。
他に患者さんはいないようだ。
「こんにちは。」
優子が声をかけると、受付カウンターの奥から大戸の奥さんの礼子さんが顔を出した。
「あら、こんにちは。清十郎?」
「そうなんですよ。なんか耳がとっても痒いみたいで、気にしてて。」
診察室のドアが開き、大戸が顔を出した。
居合わせた一平ともちらりと目が合い、互いに会釈を交わす。
「こんにちは、どうぞ。入って。」
はい、と言い、優子が清十郎の入った洗濯ネットを抱えて診察室に入った。

待合室で取り残された一平に、カウンターの中から礼子が手を振る。
「こっち入んなさいよ。どうせ誰もいないんだから。」
「あ、いいんですか?すいません。」
受付の中に入るとそこは薬やカルテ、検査用の器具類が置かれたスペースになっていた。各室に続く間口から診察室や処置室の様子も見通せるようになっている。

診察台の上の清十郎は、洗濯ネットから頭だけ出して、優子から抱えられている。
大戸が両耳を覗き込んだ後、腰に手を当てた。
「あちゃー、ちょっとそのままで。いいもの見したげる。」
そう言うと鉗子を一本取り出し、清十郎の耳の穴から何やら黒いブツブツを引っこ抜き、スライドガラスに乗せた。

スライドガラスを顕微鏡にセットした後、傍らのモニターをつけて視野をあちらこちらに動かしている。
と、モニターにゴソゴソとうごめく虫みたいなものが写し出された。
「ほら、いた。」
「うわ!気持ち悪い!なんですか?」
優子の顔がひきつる。
「ダニだよ、ダニ。外でもらってきちゃったんだね。」
「よおし、耳掃除といきますかあ!そのまま押さえててね、優子ちゃん。」
「はい、え、でも…。いや、はい!わかりました、お願いします!」
大戸が鉗子で耳の毛ごと黒い塊を引っこ抜くたびに清十郎が顔をブンブン振り、そこいらじゅうに毛と黒いブツブツが飛び散る。
こら、動くな!そこ押さえて、えー、はい、わかりました、と大戸と優子が抵抗する清十郎と格闘し始めた。

受付から様子を伺う一平の隣で、礼子がクスクスと笑っている。
「ほら優子ちゃん、ちゃんと押さえとかないと、もっと飛び散るわよ。」
「えー、こまるー!」
「うち帰ったら優子ちゃんとおばあちゃんが耳に薬入れなきゃいけないんだから、ここでやり方しっかり覚えて帰ってもらわなきゃ。」
「そうそう。」
大戸は礼子に同調しつつ、容赦なく耳掃除を続行している。

格闘すること十数分、ようやく大戸が鉗子を置き、診察台回りを清拭した。
次に点耳薬2本を礼子から受け取り、いいかい、まずこっちをこうやって、それからこれをこんな風にね、と優子にやり方を教えている。
優子も真剣な面持ちで大戸の手元を凝視している。

「なんか獣医さんらしくていいなあ。」
一平が思わず呟く。
「何言っちゃってんの、あなたも獣医でしょ?」
「獣医ったって、注射も投薬もしたことないんですよ。」
「そういうのは誰かについてちょっと教えてもらえば、みんなすぐできるようになるわよ。」
「そんなもんですかねえ…。」
「そんなもんよ。」
礼子がにっこり笑いながらポンと一平の肩を叩く。

「僕も最初は小動物臨床目指してたんですけどね。」
「色んな人の話聞いたりしてるうちに、自分はちょっと違うかな、と。」
「開業なんてもう、いっぱいお金かかるみたいで。うちは普通の勤め人なんで、夢のまた夢、でした。」
礼子が腰に手を当てて一平に向き直る。
「そう、開業なんて大変よ。うちも借金まみれ。」
「なのに田舎の犬猫病院なんて、春のフィラリアシーズンこそどっさり来るけど、あとはさーっぱり。2月なんてちーっとも患者さん来ないからずっと暇潰してたんだ。ホントにこれでお金返していけるんでしょうかね、ねえ院長?」
「また始まった…。こんな風に嫁さんから嫌味言われるだけなんだから、田中君、開業なんてやめとけよな。」
大戸が清十郎の頭を撫でながら大笑いした。

大戸が清十郎の頭を洗濯ネットに押し込んでチャックを閉めた。
「さ、今日はこれでいいよ。耳の薬出すから毎日やってあげて。悪くなるようだったらまた連れてきてくれればいいよ。」
「ありがとうございました。じゃ、行こう、清十郎。」
優子が抱き上げ、待合室へと出る。

清算を済ませ、じゃ、お大事に、と、二人から見送られながら病院を出た。

アパートに戻り、優子と別れ、自分の部屋に入る。
いつもの片付けものを一通り済ませた後、冷蔵庫の残り物をモシャモシャと食べ、ぼんやりと過ごす。

明日は月曜で仕事。だけどなんかちょっと飲みたい気分。久々に70’Sで濃いウイスキーでも引っかけてこようかな…。

のんびり歩き、ライブハウス70’Sにたどり着いた。
店の古びたドアの前に立つ。

津田さんの結婚式以来、かな…。

ドアを開けるとステージは明かりが落とされ、テーブル席には誰もいない。
薄暗い店内に静かにジャズが流れている。
カウンターに一人の男。背中を丸めてグラスを傾けている。

マスターが一平に声をかけた。
「いらっしゃい。こちらへどうぞ。」
勧められるままカウンター席に座ると、先客の男がニヤリと笑ってグラスを一平に差し出した。
「よう、青年。また会ったな。」

昼間に優子と行った動物病院の院長、大戸だった。

<最初(目次)へ>  <前へ>  <次へ>

この記事を書いている人 - WRITER -
アバター
たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© 元公務員獣医師拓一人のブログ , 2021 All Rights Reserved.