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「いただきまーす!」 第46話

2021/03/14
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第46話

大戸はマスターからグラスを受け取り、一口ちびりと飲む。

顔をしかめた後、一平に向く。
「俺は高校ん時、野生動物の研究者になりたいなって、ぼんやり思ってたんだ。」
「へえ…。」
「でもどうやっていいかわかんなかったから、とりあえず獣医の学校に入った。」
「今と違って、当時は野生動物の研究室抱えた学校なんてなかったし、回りは牛馬とか犬猫のお医者さん目指す奴ばっかでさ、全然話合わなくて…。」
大戸が苦笑いする。

「自分なりにツテ探してシカやらイノシシ、クマやらサルやらの生息数調査とかについてった。いや、これは楽しかったね。」
「動物園とかじゃなくて、野生のシカとかサルとかを山ん中で生で見たことあるかい?どいつも眼光というか全身から放つオーラというか、すんげえ存在感なんだ。シカなんてすっげえきれいだし、カモシカなんて、まんま、もののけ姫のシシ神さまだぜ。」
「谷挟んで見てたクマと双眼鏡ごしに目が合った時なんか、思わず息が止まっちまった。」
「そいつらを一日ずっと山ん中駆けずり回って糞や痕跡見つけたり、テレメ、あ、無線機のことね、それつけた奴、アンテナで追っかけ回したり。」
「でもさ、その調査って、山とかにでかいプラント作る前の環境影響評価の仕事の事がほとんどなんだ。これって、まず問題ないです、っていう答ありきみたいな所あるのがどうも分かってきた。これはやだなと。」
「それと、野生動物の研究者って、それを仕事にしてなんか食えてない人がほとんどだ、ってことも見えてきた。うちは普通の会社員なんで、ずっと親のスネかじってる訳にはいかない。」
「さあどうすっかなあ、って早々と目標を見失っちまった…。」

「まあ、とりあえず獣医の免許だけはとっとこ、ってだけ思い直してさ、あとは卒業するまで免許取ることだけしか考えてなかった。」
「いよいよ卒業近くなってからようやくはっと気が付いてあたりを見回してみたら、みんなその先の進路を見据えて具体的に動き出してた。けどさ、獣医になってから何しよ、ってぜーんぜん考えてなかっただろ?何していいかさっぱり思い付かなくってさ。」
「親父からは、学校出たら後は知らん、自分でメシ食え、って、ピシャリと言われちまって。」
「あ、僕もそうです。」
大戸が一平と目を合わせ、だろ?と言い、苦笑する。

「とりあえずメシ食えれば仕事なんかなんでもいいやって、自治体の試験を受けたら入っちゃった。んで、郷浜食検。」

そこんところは、まんま、俺だ…。
一平も苦笑いする。

「最初の頃の郷浜食検はみんな気の合う奴等ばっかりでさ。上司も打てば響く人達ばっかだったし。」
「仕事も覚えていろんなことも任されるようになって、ああ、俺、このまんまでいいや、って思ったよ。」
「でもさ、突然上司達がガラガラと一斉に転勤し始めてから、職場がどんどんおかしくなっていった。どさっと入ってきた見知らぬ上司達が、これまでの上司のやり方を全部否定して、自分達の転勤元のやり方をただグイグイと押し付けてくる。俺らぺーぺーはただもう、オロオロするしかなくってさ。」
大戸が再びグラスを傾け、酒をちびりと舐める。

「さんざん振り回されたあげく、今度は保健所行け、とさ。」
「保健所の仕事なんて、なーんにも知らないから、無我夢中で仕事したよ。似合いもしないネクタイしめてよ。」
「当時の直属の上司なんか、俺がいるの分かってて、課長に向かって、ド新人ならともかく、入って何年も経ってるくせに食品衛生法もろくに読んだことのない獣医なんか、保健所によこすな!なんて大声で言う始末でさ。」
「こんちくしょう!と腹ん中で怒鳴りながらもなんとか2年いると、法令の仕組みやどこに何書いてあるかがようやく分かってきた。」
「3年目こそはよーし見てろ、と思ってた。そしたら今度はまた郷浜食検に逆戻り。」
「そしたらさ、異動早々、上司がやって来て、俺が全くやったことのない検査を担当しろと言ってきた。年間通してやる検査で、なんやかんやプレッシャーがきついやつなんだ。指示することそれ自体はいい。習って覚えればいいんだから。けれどその上司はもちろん、居合わせた連中みんながその検査、なーんにも知らないんだぜ。」
「誰に聞けばいいのかすら、誰もろくに指示できない。後は俺が自分で知ってる人探してなんとかするしかなかった。」
「もう、無我夢中で、どうにかこうにか切り抜けてはみたよ。けど、そん時、こう思った。」

「まっさらから始めて一生懸命作り上げたのに、転勤とか上層部の異動をきっかけに全部さあっと跡形もなくなっちまう。気を取り直してまたイチから作ってやろうと一生懸命向き合ってみたのに、またまたさあっと全部が押し流されていく。まるで波打ち際で砂の山を作ってるようなもんだ。」
「このままじゃいけない、とね。」

「そして、あることにも気付いた。」
「俺という奴は、その場その場で小器用に自分を切り替えていく適応力とか順応性とかいうものに、どうも欠けているようだ。」
「けれどコツコツと身に付けたものを、またコツコツと積み上げ、熟練度を増していくような仕事のスタイル。言ってみれば、その場しのぎの砂の山を見てくれ良くパパっと作るとかじゃなくて、見た目がどんなに不格好だろうが、波が押し寄せようが風が吹こうが、誰にも壊されない石の山。それを重たい石を一個ずつ運んでは積み上げ、作っていく。そんな仕事のやり方が、俺には向いてるんじゃなかろうか、ってな。」

「そんでな、獣医師会の研修会で知り合った開業の先生がたまたまいたから、その先生に頼み込んで、こっそり小動物診療の勉強をさせてもらうことにしたんだ。」
「誰からも奪われることのない何かを身に付けないと、俺が俺でなくなっちまう。その一心だっだよ。小動物臨床でなけりゃいけない、なんて訳じゃない。なんでもよかったんだ。」
「藁にでもすがる思い、ってやつ。まるっきり苦し紛れさ。」

「そしたらさ、その動物病院で、バイトで働いてた礼子に出会ったんだ。」
「礼子からは、この仕事で生きていく、っていう覚悟。それをもらった。」

吐息をつくように、大戸がグラスを傾けた。

** 大戸篤志の検査所時代のエピソードは、「衛生獣医、木崎勇介(食肉衛生検査所編)」で! **

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