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「いただきまーす!」 第5話

 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第5話

静かな部屋。
白い壁。
柔らかそうな唇。

彼女が耳元で囁く。
一平君、こっち来て。
吐息を首筋に感じながら、かろうじて声を絞り出す。

いいの?

眼を上げると彼女と眼が合う。
木村さん…。

いきなり後ろから肩を掴まれる!
驚いて振り向くと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドクだ!
「いかん!時間がない!急げ!」
「えー!いまあ!なんでえ!」
「やだよ!行かない!」
ドクの手を振りほどいた弾みにガン!と頭に衝撃が走った。

…。
くっそ。やっぱ夢かあ…。

布団の脇に目覚まし時計が転がっている。
テーブルには空になった弁当、おつまみの食べ残し、缶ビール。

あ、今日は休みだ…。
昨日観たDVDのせいで、変な夢見ちまった。

しっかし、ちょっと惜しかったなあ…。

カーテンの隙間から眩しい日差しが差し込んでいる。昼前ってとこか…。
週明けから新採研修で里崎市で泊まり込み。
準備しとかなきゃ…。

ゆっくりと起き上がり、カーテンを開ける。

「!」
足元で毛繕いをしている黒白のデブ猫と眼が合った。
こいつ、また入ってきやがった。
あ、おつまみの食い残し、きれいになくなってら…。
野郎、やりやがったな。

デブ猫は再び毛繕いを始め、こっちのことなんかまるで気にしていない。

しばし寝惚け頭でボンヤリ猫を見つめる。
…。あ、しばらくこっちいなくなるから、DVD返しとかなきゃ…。

一平はため息をつき、着替えてDVDと車のキーを掴んだ。

スニーカーを突っ掛けた足で猫を追い払いながら部屋のドアを閉め、猫とともに外階段を降りる。
外庭では大家の神代ばあちゃんがいつものように掃き掃除をしていた。

「おはようございます。今日もいい天気ですねえ。あれ、清十郎、田中さんとこにいたのかい?」
デブ猫がぶみゃーと返事をし、ばあちゃんの足元にすり寄る。
「おはようございます。なんか入ってきちゃったみたいで。これ、大家さんの猫なんですか?」
「そうなんですよ。時々逃げ出しちゃって。こら清十郎、ご近所さんに迷惑かけちゃだめでしょ。田中さん、どうもすみません。」
「あ、そうそう、リンゴいっぱいもらっちゃったんですけど、少しもらってくれませんか?食べきれなくて…。」
「え、そんなお構い無く。」
「まあそう言わないで、年寄りを助けると思ってもらってやってくださいな。」
と言うと、自分の部屋の前にあった段ボール箱からリンゴが入ったレジ袋を取り出した。
「どうもすみません。じゃ、いただきます。」
手を差し出した時、小脇に挟んでいたレンタル袋がバサッと落ち、中身が飛び出してしまった!
「おっと。」
慌てて拾い上げる。
あれ?肝心の1枚は…。
「はい、これ。」
神代ばあさんがニコニコしながら1枚のDVDを差し出した。
おーい!一番見られたくなかったエロビデオじゃねえか!

引ったくるように受け取り、レンタル袋にしまい込む。
神代ばあさんは全く表情も変えずに相変わらずニコニコと微笑んでいる。
「じ、じゃ、ちょっと出てきます。」
「いってらっしゃい。」

逃げるように車を出す。
「見られたかな…。見られたよなあ…。」
ルームミラーごしにばあさんの様子を窺う。ばあさんは車に向かって手を振っていた。

外庭に残された神代ばあさんは、足元の黒白デブ猫、清十郎に声を掛ける。
「青春だねえ…。いいねえ、お若い人は。」
清十郎は満足そうな顔でばあさんを見上げ、ぶみゃーと鳴いて足元に頬擦りした。

一平の車は市街地を走り抜ける。
やがて厳選堂の黄色いのぼりが見えてきた。
店長いたらやだな…。

ゆっくりと駐車場に車を入れ、車の中からカウンターの様子を伺ってみるがよく見えない。そおっと車を降り、うつ向いたまま自動ドアのすぐ中にある返却ボックスにレンタル袋を投げ込み、そそくさと店を出た。
一平の背中で、ありがとうございました、という声がした。
店長の声ではなかった。

やれやれ。助かった…。

あー、安心したら腹へった。
どっかでなんか食お。

厳選堂の辺りを見回すと、「ロビン」と看板に書かれた小さな喫茶店が目に留まった。
ランチタイムサービスの黒板が出ている。
よし、あそこにしよ。

ドアを開けるとカウベルがカランカランと鳴る。
「いらっしゃいませ。」
初老のマスターがカウンターから声を掛けた。店には2、3人の客がいる。
日替わりランチお願いします、といい、窓際のボックス席に座った。
水をトレイにのせたポニーテールの女性のバイトさんがカウンターを出て、一平のテーブルに近づく。
「失礼します。あれ?田中さん、ですよね?」
怪訝そうに一平がバイトの女性を見上げた。
「幸福荘の大家、神代キクの孫の優子です。」
「あ、こんにちは。ごめんなさい。雰囲気違うから分かんなかった。」
「お久しぶりです。私、ここでバイトしてるんですよ。」
優子が水をテーブルに置く。
「あ、そうだったんですね。」
「どうです、お部屋落ち着きましたか?」
「ええ、おかげさまで。」
「少しは街も覚えました?」
「いやあ、まだまだですよ。あ、そうそう、それに来週からちょっとの間、こっちいなくなるんで、届け物とかあったら大屋さんとこで預かってもらってていいですか?」
「はい、じゃ、おばあちゃんにも言っときますね。どのぐらいですか?」
「2週間ぐらいなんですけど。」
「2週間、へー、長いですね。」
「そうなんですよ。新採研修だそうで。」
「それはお疲れさまです。あ、今日は日替わりランチでしたよね。」
「ええ、お願いします。」
「うち、日替わりは人気あるんですよ。ちょいちょい来てくださいね。」
優子が一平のテーブルを離れると、一平のボックス席の後ろのボックス席の男性客が優子を呼び止め、席を立った。
「あ、優子ちゃん、お会計。」
はい、わかりました、と返事をした優子に連れ立って、二人はレジへと向かう。
雰囲気で常連さんだと分かる親しさだ。
ひとしきり話した後、客がにこやかに店を出る。
その背中にありがとうございました、と優子が声を掛けた。

程なく、優子がランチのトレイを持って一平のテーブルにやって来た。
「さっきのお客さん、おばあちゃんの猫の主治医さんなんですよ。」
「おばあちゃん猫、あ、清十郎でしたっけ。へー、あの人、獣医さんですか。」
「あ、よく知ってますね!清十郎。もう会ったんですね。」
「まあ、会ったというか、なんというか…。」
「清十郎、あの獣医さんの言うことはよく聞くんですよ。なんでですかねえ。」
「さあ。でも感じのいい人かな、とは思いましたね。」
「なんか石川さんの知り合いみたいですよ。隣町で動物病院やってる大戸先生って言うんですけど。」
「大戸先生、ですか。」
動物病院の獣医さん、かあ。
俺も獣医だけど、なんか遠い存在に感じてしまうな…。

まあ何はさておき、飯を食おう!
今日のランチは旨そうなオムライス!
久々のまともな飯だ!
「いただきます!」
一平はケチャップで彩られた卵にスプーンをぐいっ、と突き立てて豪快にすくい取り、口に放り込んだ。

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