長く勤めた自分にしか書けない、そんな記事を。

「いただきまーす!」 第53話

2021/05/02
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第53話

桜の花がすっかり散ってしまった日の、とある午後。

「じゃあ、説明するね。」
生活衛生課の打ち合わせテーブルで、乳肉衛生の高山が1枚のコピー用紙を一平に渡した。

高山が頭を掻きながらシャープペンシルをカチカチさせる。
「犬猫の仕事は基本的に乳肉でやるんだけど、時間外の呼び出し対応当番は乳肉の獣医と薬剤師だけじゃ大変なんで、食品の獣医さんにも手伝ってもらうことになってるんだ。」

「外をうろついてた犬を繋いどいたから引き取りに来てくれ、とか、怪我をしている犬や猫を保護してる、なんて人から連絡があったら、引き取りに行ってうちの動物管理センターに収容してもらう。そこまでが当番の仕事だよ。」
「これが時間外当番のケータイ。外からかかってくる電話を支庁の守衛さんが取り次いでくれて、このケータイを鳴らす。で、守衛さんから教えてもらった連絡先に電話して相手方から内容を聞き、乳肉の捕獲車で引き取りに行くのさ。捕獲車とセンターでの収容方法はこの後、実際に見てもらいながら説明するから。」

「犬がうろついているから捕まえてくれ、とか、犬が人に噛み付いてケガさせた、なんてのも飛び込んで来る。だけどこんなのは一人では対応しきれないから、必ず俺か石野さんに連絡して。俺らがつかまらない時は補佐か課長に連絡してね。」

「捕まえるとか、なんか緊張しますね。」
「うちの県は、今は野犬なんてまずいない。人によく馴れた犬ばかりだし、リードも付けさせてくれるから、そのまま預かって来れるケースがほとんどだよ。」
「だいぶ前は、近づくのも危ない大型犬の捕獲のために麻酔銃まで持ってたんだ。けど今は、もう使うような案件なくなっちゃったから銃は持ってない。」

「警戒心が強くて近づけさせてもらえない奴がたまにいるけど、これはチーム戦。狭いところに追い込んで専用の道具使ったり、向かってくるような危ない奴は鎮静剤の吹き矢使ったり。」
「吹き矢ですか?」
「そう。後で見せるよ。使い勝手がいいから、重宝してるんだ。田中君も練習しといてもらわないと、ね。」
「へえ…。なんか獣医さんっぽいな…。あ、すみません。」
「いやいや。」
高山が小さく微笑む。

「で、当番は1週間交代。平日は17:00から翌日8:30まで。祝日や土日は24時間ケータイ待機。月曜日の17:00からスタートして、翌週の月曜日8:30まで。スケジュール表はこれね。」
「来週月曜日の夕方から早速やってもらうんで、予定しといてね。」
「当番はお酒飲めないから。念のため言っとくけど。」
高山が杯をくいっとやる仕草をした。
「ですよね…。了解です。」
「じゃあ、こっからは石野さんが説明するんで。」
石野さん、と呼び、高山が自席に戻る。

石野が席を立ち、打ち合わせテーブルに近づく。
石野は髪を束ねて軽快なスニーカーを履き、作業服姿だ。
「田中君、よろしくね。じゃあ、これから引き取りに行くから、一緒に付いてきて。」
一平を支庁庁舎の外へ連れ出した。

公用車車庫は支庁庁舎の裏に立っているプレハブ小屋だ。
プレハブ、と言っても1棟で20台は入るシャッターがずらりと並んだ大型の建屋で、それが2つ。
これでも入りきらない公用車が外の駐車場に10数台あるらしい。

「どの課だって出張となれば移動手段は車じゃない?だからこんな数になっちゃうのよね。うちも1台あるけど、車庫がもらえない公用車は冬が大変よ。まず雪かきしてからでないと車出せないからね。」
そう言いながら、石野はすたすたと先導する。

うわ、足、はや!

遅れまいとせっせと早足でついていくと、公用車車庫の一番奥にようやくたどり着いた。

「保健所は支庁にとっては新参者なんで、保健所の車は庁舎から一番遠いところに押し込められちゃったのよ。たまにしか使わない公用車が庁舎の近くにあって、毎日使うし、夜だろうが朝だろうが、休日だろうが出動する私らの車がここなんてさ…。まったくもう…。」
「よいしょ、っと。」
膨れっ面をしながら石野がシャッターをガラガラと開けた。
「これが捕獲車よ。今、出すね。」

石野が運転席に乗り込み、車庫から出す。
見た目はただの白いワンボックス車のようだ。後部座席の窓はスモーク張りになっていて内部が見えない。
「見て。」
運転席から降りた石野がバックドアを開けた。
開けたすぐ手前にステンレス製の格子。内面の床と側面はステンレスで内張りされている。後部の窓には、すべて格子がはめ込まれている。
「へえ…。こうなってるんですね。」
「外から見ただけじゃ分かんないでしょ?昔はオリむき出し、なんて時代もあったらしいけどね。」
「で、洗ったり消毒したりするから、中はステンレス。」
石野がサイドドアを開き、棒状の器具を取り出した。先端にワイヤーが付いている。
「これが捕獲用の器具。ここを引くとワイヤーが締まるようになってる。もう、今はほとんど使うことないけどね。」

また、2メートルぐらいの塩化ビニル製のパイプを1本取り出した。
「これが吹き矢よ。」
「針と薬は衛生課の金庫に入れてあって、必要な時に持っていくの。」

「さてと。警察に犬を引き取りに行くから、一緒に乗って。」
「はい。」
石野と一平は捕獲車に乗り込み、郷浜総合支庁を出た。

郷浜市内に入り、幹線道沿いにある郷浜警察署に着く。
警察署窓口には若い男性職員が座っていた。
「すみません、郷浜保健所ですけど、犬を引き取りに来ました。」
男性職員が、保健所の方ですね、ご苦労さま、どうぞ、と、外へ促す。

警察署庁舎の隣にある小さな建屋に案内された。
引戸を開けると、年老いた茶色い中型犬が1頭、ゆっくりと尻尾を振り、こちらを眺めている。
「じゃあ、お願いしますね。」
「ありがとうございました。」
そう言うと石野は、老犬にゆっくりと近づいた。

石野が、少し離れたところで少ししゃがみ、小さく微笑む。
老犬は嬉しそうに尻尾を振る。
石野はそっと近づき、老犬がすり寄るのを待ってから、そおっと頭を撫でた。
老犬が石野の臭いを嗅ぎ、顔を舐めた。
「ほうほう…。よしよし。」
石野は捕獲車から取り出したリードに付け替え、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ行くよ。」
老犬が石野を見つめ、素直に後に続く。

石野は捕獲車のサイドドアを開けた。
「ほら、乗って。」
老犬は少し戸惑った様子を見せたが、すぐに中に飛び乗った。
「いい子ね。」
石野が格子にリードをひっかけ、スライドドアを静かに閉める。
「ありがとうございました。」
再び男性職員に挨拶した後、じゃあ行くよ、と一平を促して警察署を出た。
捕獲車は警察署を出て、幹線道に乗って郊外へと向かう。

「いい子でよかった。」
「神経質な子もいるから、受け渡しは気を付けないと、ね。」
運転しながら石野が、一平をちらりと見て、にっこりと笑う。

「うちの県は県警とあらかじめ打合せしててさ、警察が夜のパトロール中にうろついてた犬を保護したら、特別の事情がなければ朝の8:30まで警察で預かってくれることになってる。あちらは常に複数人が24時間体制で交代勤務してるけど、こっちはそうじゃないからね。」
「ほんと助かってる。お巡りさんありがと、って感じよ。」
ハンドルを切りながら、石野が横目で一平をちらりと見て、軽くウインクした。

「運転上手ですね、こんなおっきな車なのに。」
「そんなことないわよ。自分でやってみるとわかるけど、こういう車って、座席が高くて視野が広いから、慣れてしまえば普通車より運転しやすいのよ。」
「それに死角をカバーするミラーもちゃんと付いてるから大丈夫。」
「大体さ、まずはこいつに乗れてどんな道でも走れないと、こちとら商売にならないでしょ?」
「確かに。」
一平がクスリと笑った。

「石野さんは保健所長いんですか?」
「そんなことないわよ。郷浜の検査所と保健所行ったり来たり。アサミとおんなじぐらいかな。」
「アサミ?ああ、検査所の山田主任ですか?」
「そう。麻美とは食検ん時からの付き合い。」
「二人して地域コミュニケーション担当に、手、挙げたからさ。こっから先も、麻美とは長い付き合いになりそうね。」
「ちなみに麻美は、あたしよりこいつの運転上手いよ。」
「なんか、わかる気がします。」
はははっと、石野が笑った。

捕獲車は郊外の雑木林の中の林道をぐいぐいと入っていく。

「さあ、着いたわよ。」

うっそうと繁る雑木林の中に忽然と現れた古ぼけたコンクリート製の平屋の建屋。ここが郷浜動物管理センターだ。

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