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「いただきまーす!」 第6話

2020/05/31
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第6話

新採研修前日の朝。

さてと、今日中にホテル入りしとかなきゃ。
自家用車では研修に来るなと言われたから、アパート近くのバス停で路線バスに乗り、郷浜駅前のバスターミナルで里崎行きの高速バスに乗り換えだ。

冷蔵庫には傷むもの何も入ってないから、コンセント抜いちゃえ。
あとはゴミ出してっと。
それから…。

しっかし、なんもねえなあ…。

ここに初めて着いたときに持ち込んだリュックに出先で使う身の回り品と着替えを入れ、敷きっ放しだった布団を押し入れにしまうと、あとはテーブルひとつとテレビ、BDレコーダー、それに冷蔵庫。

なんかお前の存在なんてこんなもんだ、って言われてしまったような気がする。

そうなのかも。
今の俺は、このリュックに入り切る程度の存在なのかもな…。

リュックを肩に掛け、窓のサッシ戸の鍵をロックし、カーテンを閉める。
おっと忘れちゃいけない。
外階段に面したサッシ戸もロックしとかなきゃ。
神代ばあちゃんのデブ猫が入ってっくるからな…。

くすりと小さく笑いながら、サッシ戸をロックする。

そういえば最近、あいつ来ないな…。
いたらいたで忌々しいけど…。
自室のドアを開けて外廊下に出て、ドアをロックする。
少し回りを見渡してみるが、何の気配もない…。

ま、いっか…。

ギシギシという外階段を降り、近くのバス停までとぼとぼ歩く。

バス停に着くと、ドンピシャのタイミングでバスがやって来た。
チケットを取り、一番後部の座席のど真ん中に深々と腰を降ろす。

走り出すバスの窓から市街地が見える。
あ、あの店1回入ったよな。
へー、あんなとこにこんな店、あったんだ。

なんかやだな…。
またひとりで知らない人ばかりのとこに行くの…。

やがて郷浜駅前のバスターミナルに着く。
出発時刻までまだかなりある。
となりのショッピングセンターでもぶらつくか…。

1階の特産品売り場を覗く。
へー、さすが米処、日本酒がメインなのね。
あとは漬け物や米菓なんだ…。
お、ご当地銘柄豚のレトルトカレーなんかもあるんだねえ。
全く関係ない訳じゃないから、試しに一個食ってみても面白いかも…。

パッケージをしげしげと眺めていると、不意に肩を叩かれた。
「それはやめときなさい。」
ドキッとして振り向くと、検査所の山田だった。
山田はベージュのワンピース姿で髪をおろしている。検査所の時と雰囲気が変わり、ちょっとドキドキする。
「あ、これ、うちのボーズ。」
後ろにいる中学生位の男の子が、頭をひょこりと下げ、ちわす、と挨拶をした。
あ、お子さんいたんだ。そりゃそうだよな。
もう山田より背が高い。お母さん似で切れ長の目元。親子だなあ…。
「バス待ち?」
「ええ。まだだいぶ時間あるんで、ちょいとぶらついてまして。」
「そうなんだ。何かいいの見つけた?」
「これかなと思ってたのに、今、山田さんから速攻ダメ食らっちゃいました。」
「それね、都会の人向けにパッケージで良さげに見せてるだけのやつ。高っかいでしょ!こういうのは都会の人に買ってもらって、地元にいっぱいお金落としてもらわないと。」
「なんかお勧めありますか?」
「食べ物、って言うなら、正直、ここにはないわねえ…。」
「食べ物なら地元スーパーか産直ね。絶対。こういうとこで買っちゃダメよ。」
「ものが良いし、何より安い!」
「肉でしょ、魚でしょ、そして野菜。今の時期は山菜ね。旬の食材はなんでも地元で揃うから、それでちゃちゃっと料理しちゃうのが一番!」
「料理、ですか…。」
「田中君は料理しないの?」
「ええ。ずっと実家から通ってたんで。」
「いい機会じゃない。自炊しなさいよ。絶対ハマるってば。」
「そうっすね…。そのうちやってみます。」
「この辺り、食べ物やさんもそんなにないから。それに外食はお金かかるし、ね。」
「確かにお金はかかりますね。」
「あ、これ食べなさいよ。お勧め、って言ったら、これはお勧めね。」
山田が小さなレジ袋を一平に差し出す。
中を見ると、透明な食品容器にコロッケみたいなものが2つ入っていた。
ほんのり温かい。
あ、それ俺の、と言う息子をうるさい、と一喝し、
「いいから食べてみなさいって。じゃね。」
えー、と言う息子を蹴飛ばしながら山田が手を振って去って行った。

レジ袋を提げたまま呆然と見送った一平は、再びショッピングセンターをぶらついた後、時計を見る。
さてとそろそろバスターミナルの待合室に戻りますかね…。

待合室の片隅に座り、レジ袋からコロッケみたいなやつを取り出して一口食べてみる。
「!、んまい!」
見た目はほぼコロッケだが、中にカマボコみたいなのとタマネギのみじん切りが詰まってる。揚げたてのサックサク。タマネギのいい香りとシャキシャキとプニプニの食感が一度に口に広がる。
容器に貼ってある食品シールには、郷浜市の東食品、カマネギフライと書いてあった。
「カマネギ、って、まんまじゃん。」
へー、やるねえ。
今度産直か地元スーパー行ってみよ。惣菜だってなんかいいのあるかも…。

あ、バス来た。
よおし、行きますか…。

一平は自分の頬を両手でペン、と叩き、傍らのリュックを肩に掛けて立ち上がった。

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