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「いただきまーす!」 第7話

2020/06/07
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第7話

里崎市の郊外にある、県の研修所の大講義室。窓の外は、暖かい春の日差しでいっぱいだ。
一平は、80人ほどの受講生と共に新採研修の最後の講義を受けていた。

机の資料を読んでるふりしながらぼんやり考える。

あっという間の2週間の新採研修。これで終了かあ…。

みっちりやらされたけれど、久々の学生気分。
それに女の子もいっぱいいる。
手術はもちろん、注射もろくにできないペーパー獣医だけど、獣医さんだっていうだけで「へー、すごいですね」とか言われて女の子達からチヤホヤされちゃったし。
2週間もいたから、2、3人の女の子はもう顔馴染みになっちゃった。むふふ。
もう職場に帰りたくないなあ…。

あ、木村さんには会いたい、か…。

しかし、それにしても。
昨夜の話が気になる。

「里崎システム」って、一体…。

昨夜一平は、この春一緒に里崎県に入庁した獣医師、若林に誘われ、二人でカジュアルなイタリアレストランに入った。
若林は里崎保健所に配属されている。
「ねえ田中君、東京の人だよね?なんでこっち来たの?」
「なんでって、えっと、実は年末まで行き先決まらなくて、たまたま里崎県で追加募集してるって話聞いて。それで応募したら入っちゃった。」
「公務員志望だったの?」
「いや、そんなこともないけど。獣医になってはみたけど、これやりたい、っていうものがなくて。」
「来春からは自分の稼ぎで飯を食え、って親から言われて…。なんでもいいからとにかく仕事しなきゃ、って。」
「小動物臨床目指して獣医大学入ったんだけど、実習とか先輩たちの話とか聞いてるうちに臨床はちょっと向いてないなと。うちの親は普通の会社員だから大学院入って研究者になるとかは、学費やら何やらで最初から頭になかったし、製薬会社入って実験動物の相手するのもちょっとやだなと。」
「動物園や水族館希望の子達は早い時期からリクルート活動してて、5年生になってから彼らと競っても全く勝負にならないし。」
「ならとりあえず公務員かなと思ったけど、家から通える自治体はとっくに募集終わってたから、もう日本全国どこでもいいから拾ってちょうだい、ってね。」
「へー、結構ざっくり決めたんだねえ。ちょっとびっくり。」

若林は目の前のパスタをつつきながら続ける。
「あんだけ学校で実習漬けの日々を送らされて、国家試験でしこたま勉強させられたんだから、こっから元取んなきゃ。」
「若林君はどうしてここに?」
「僕はここが地元。そして2年前から里崎県に目を付けてた。」
「目を付けてた?」
「そうだよ。今の里崎なら僕が望む獣医師としての仕事をやり続けていけそうだと思ったから。」
「…。」

「2年前に県の課長さんが全国の獣医大学の就職説明会で公言して回ったんだ。里崎の公衆衛生獣医師職場は従来型の人事システムを一新し、その完全履行を約束する、とね。」
「『結果責任を果たす者には、私が責任をもってその者に報いる用意がある。』とまで言っちゃった。」
「完全年功序列、仕事してもしなくても給料おんなじ、が、獣医の公務員職場の常識じゃん。あと、仕事の中身全然違うのに、専門職のはずの獣医師を、本人のキャリアや個性なんかお構い無く適当に保健所とか食肉衛生検査所とか、くるくる回しちゃう。それは田中君も先輩からよく聞かされていたでしょ?」
「里崎はそれをやめると、県の衛生獣医師のトップが公言して回った。これは当時、大事件だったよ。」

里崎県でそんなことがあったなんて、全然知らなかった…。

「んでさ、この2年、ほんとにやってんのか地元の先輩からリサーチしてたんだ。」
「そしたらほんとにやりやがってましたよ、その課長。」

「特別な事情がないのに仕事で結果責任を果たそうともしなかった人には、たとえかつての上司であろうが再任用職員だろうが、年齢に関係なく、容赦なく降格や転勤を敢行。特に定年後に再任用職員で働いてたOBなんかは、年金始まる65歳まで責任の軽い楽な仕事だけしてのんびりさせてもらおうと思ってたのに、これじゃとても身体がもたないや、と、次々と辞めていったみたい。」
「その冷酷さに、あいつは冷酷非道な人事の鬼だ、と陰で囁かれていたらしいね。」
「一方で、結果責任を果たした者の希望は、ほぼ完全にかなえられた。そして彼らが今、里崎の公衆衛生獣医師職場の中核を占めているんだ。」
「実力があってモチベーションの高い人達だからね。獣医学会や全国の研修会での露出が多くなった。」
「学会や研修会って、学生の頃、卒論発表関係で研究室の教官から行かされるじゃん。そん時に獣医学生が里崎県の獣医さんを演者として見かける機会が多くなった。それに加えて、ほかの自治体でもよくやってる獣医学生対象の自治体の職場体験実習で、里崎の人事システムを獣医学生相手に猛烈にアピールしたらしいよ。」
「そしたら少しずつ新卒の希望者が増え、今年の僕らの採用で、とうとう欠員がすべて解消されたんだ。」
「学生の間で人気が高まっちゃって、来年はとうとう競争試験になりそうだってさ。僕、競争試験だったらヤバかったかも。」
「閑古鳥が鳴いてた里崎県の学生人気が急上昇したんで、他の自治体からも今、『里崎システム』って呼ばれて注目されてるらしいよ。」

若林は一気に話を終わらせてから、パスタを一口もぐもぐさせ、さらに続けた。
「僕らは新人だから行先はさしあたり保健所か食肉衛生検査所。自分がどの職場に合うか、今はわかんない。それに今は里崎にはないけど、僕、動物愛護センターの仕事に興味があって、僕のいる間にできたらいいなと思ってる。センターの仕事って、公務員の獣医さんにならないとできない仕事だからね。」
「けど、なんにせよ、公務員獣医の分野で僕に合ってる仕事が見つかったら、その仕事をきちんと勤め上げていきたいんだ。僕は。」
「その仕事のプロの獣医師として、ね。」

「ねえ、ほんとにこの話、知らなかったの?」
「え、う、うん…。」

話を遮るようにサラダにフォークを刺してレタスをかっ込み、白ワインで飲み下す。

若林は、前からよく考えて行動してきたんだ。
すごいな…。
俺はただ、なんとなく入ってきただけなのに…。

「ねえ、その課長さん、今もいるの?なんていう人?」
「桐生、桐生義之。県の生活衛生課長。まだ県庁の衛生獣医師のトップに君臨中さ。」

冷酷非道な人事の鬼、桐生課長。
そして「里崎システム」。

うーむ。
俺、ついていけんのかな…。

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