Tak Kazuto Blog site

「いただきまーす!」 第8話

2020/06/14
 
 
 
この記事を書いている人 - WRITER -
アバター
たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

<先頭(目次)へ>  <前へ>  <次へ>

第8話

ゴールデンウィーク初日。
一平はと畜場にある検査員控室の流しでナイフを研いでいる。

ゴールデンウィークや年末年始などの長い連休の際、と畜場はその期間の前後に開場させ、と畜処理を行うことが多い。
理由は2つだ。ひとつは大型連休は肉の需要が高まる時期なので、食肉業者が原料となる枝肉をたくさんストックしておかなければいけないということ。
もうひとつは、豚は、一番いい体格に成長した時期にタイムリーにと畜しなければならないということだ。と畜場を長く閉めているとその間に農場で飼っている豚が育ち過ぎてしまい、食肉としての商品価値が下がってしまう。これを避けるために最低限の間隔でと畜場を開けておく必要がある。

その日は当然、と畜検査を担当している食肉衛生検査所も仕事だ。

連休中仕事はあるけど、実家に帰る予定とかあるだろうから、お前はこなくていいぞと言ってもらった。けど、新採研修で同期の連中と飲み歩いて散財してしまったため、実家に帰ろうにもお金がない…。
お金がないから何にもできないし、どこにも行けない。
どうせ暇なんで、と一平は出勤を志願していた。

2週間という長い新採研修の後の、久々のと畜検査。しかし朝一番の現場検査でナイフが全く切れず、顎リンパ節の切開に大汗をかいてしまった。なので午後からの現場検査のために、渋々ナイフを研いていたのだ。
自動研磨機の基本的な使い方と研ぎ方こそ最初の頃に教えてもらってはいたが、実践は初めて。
自動研磨機はドーナツ状の砥石がモーターで回転しているだけのシンプルな構造。この回転する砥石にナイフの刃を当て、研いでいく。

ナイフの研ぎ方には二つの方法がある。
ナイフの刀身の正中に向かって両面を研いでいく「両刃研ぎ」と、正中のどちらか一方に向かって研いでいく「片刃研ぎ」だ。
両刃研ぎは左手、右手両方で使用できる他、切り込んだ際に刃がど真ん中を切り進んで行くので、切開方向が左右どちらかにずれてしまうことがない。また、切れ味も長持ちする。このため、食肉解体業者などナイフを使う職人さん達が好んで行う手法だ。
一方の片刃研ぎは、切り進んだ際に切開方向がどちらかにずれてしまう欠点があるものの、刃の両面を研ぐ必要がないので楽に研げるという利点がある。
教えてもらった研ぎ方は、片刃研ぎだ。

片面をしっかり研いで、反対側は軽くね、切れ味を確認しながらやれば大丈夫、と教えてもらい、こっちの面、あっちの面と研いでみるものの、いつまで研いでもナイフが細くなってくるばかりで、刃が立ってくる気がしない。

あーあ。
まあ、こんなもんでいいかあ…。

それはそうと…。

外はいい天気だなあ。みんなあれやこれや楽しくやってんだろうなあ…。

「どうだ、研げたか?」
「何ため息ついちゃってんの?」
窓の外を眺めながらため息をつく一平に、ごま塩坊主頭の再任用職員、安藤が後ろから声を掛けてきた。
安藤は控室中央に置いてあるテーブル脇のパイプ椅子に腰を掛け、ずずずっとお茶を飲んでいる。
「え?まあ…。いい天気だな、って…。」
再びお茶をずずずっと飲んで、安藤が呟く。
「まったくもっていい天気だな。」
もう一度お茶を飲み、続ける。
「少しはこっちの暮らし、落ち着いたかい?」
「ええ。おかげさまでなんとかやってます。」
「何にもねえだろ?」
「はい…。え、いや、自然が豊かだなあって…。」
「自然!?」
がははっと、腹を抱えて安藤が笑う。
「いや、お前さんも正直者だねえ。」
「俺も生まれが都会だったんで、何もねえとこだなあ、っていっつも思ってたさ。俺が勤め始めた頃は、買い物だって遊びだって、ホントに不便でさあ。」
「今ならネットあるからどこにいたって何でも手に入るし、道路も良くなったから車さえあればどこでも行ける。便利になったもんさね。」
「とは言え、こんな田舎にはお洒落な店やマニアックな店とかないし、メジャーなアーティストのライブやイベントなんかも来るわけないから、そういうのが好きな人にはちょっとつらいかもなあ。」
「休みの日とかは何やってんの?」
「食い物の買い出しとか、片付けものとか、そんな感じっすよ。あとせいぜい、映画のDVD借りてきたり、かな。」
「ん?じゃ、ひょっとして厳選堂、行ったか?」
ぎょっとして安藤の方へ向き直る。
「え、厳選堂、ですか。行きましたけど。」
「この辺りだとあそこ位しかないからなあ。」
またしても、がははっと笑う。
「あそこの店長、おもしれえだろ?仲良くしとくといいぞ。」
「あ、そうなんですか…。」
作り笑いしながら、やっとの思いで受け流す。

あの店長。
いたら何か言われるかとハラハラしてたけど、この前DVD返しに行った時は、たまたまいなかったから助かった。

次からどうしようかな…。
この辺り、いよいよあそこしか無さそうだし…。
また変なの押し付けられても困るから、ちょっと遠くても別んとこ探そっと。

その日の夕方。
明日から連休。けど何も予定がない。ちょっと雑誌でも立ち読みしようと、一平は帰り道にある郊外型の書店に入った。

雑誌コーナーを眺めながらぶらぶらしていると、ふいに後ろから声がした。
「あれ?この前のお客さん?」
振り返ると、パーマ頭で口髭を生やした男がニコニコしながら挨拶をしている。
間違いない。厳選堂の店長だ…。

やっべ…。どうしよ…。
一平がモジモジしているのを気にもせず、店長が近づいてくる。

「いやー、こんなところでお会いするなんて。今日は本をお探しでしたか。」
「ええ、まあ…。」
「あ、そうそう、この前は無理なお願いをしてすみませんでしたね。ありがとうございました。」
そこまで言った後、店長はぐいと近付き小声で囁いた。
「アンケートありがとうございました。実は次にお試しいただきたい作品もありまして。」
「どうか、またお立ち寄りくださいね。これ、当店の割引クーポンです。どうかお使いください。」
「お邪魔いたしました。それではこれで失礼いたします。」
店長はぺこりとお辞儀をし、すたすたと帰っていった。

なんだ、あれ…。
アンケートなんて、気に入った、そうでもない、程度の簡単なもので、適当にマル付けて入れといただけなのに、あんなんで参考になるのかな。

次にお試しいただきたい作品、とか言ってたな。
またエロビデオだったりして。ちょっと嬉しいけど…。

一人でニヤつきながら本棚の雑誌を1冊手にし、読むとはなしにパラパラとめくり始めた。

立ち読みにも飽き、本屋からアパートに戻る。明かりがついている部屋はなく、アパートは暗闇に沈み込んでいる。他の住人は皆、不在らしい。

部屋の明かりを点ける。
布団やらゴミやらが転がる雑然とした部屋に、蛍光灯の冷たい光が広がる。
スマホには何の連絡も入っていない。
冷蔵庫を開けたがビール1缶とケチャップやソースの類いだけ。
そっか。食い物買ってくんの忘れた…。

ガシュッと缶ビール開け、一口飲む。
空の胃袋に真っ直ぐビールが落ちていく。
ビールの冷たさに、堪らず胃袋がぎりっと硬く縮み上がるのがわかる。

いいや。もう寝よ。

残りのビールを一気に飲み干し、早々と布団にもぐり込んだ。

ふと眼が覚める。
まだ外は暗い。

夕べ何も食べていなかったことを思い出し、何かから逃れるように部屋を抜け出す。

あてどもなく郊外へ車を走らせる。
やがて、薄闇の中から海が見えてきた。
空が少しずつ明るさを取り戻す。
海岸線の一方から大きな山が浮かび上がってきた。海岸線から一気に高度を増している。海と反対側の裾野には、低い山々を従えていた。

へー、山と海、どっちも近いんだ。
今日の気分は、海、かな…。

地図も見ずに海を目指す。
やがて大きな川と海の合流点に着いた。

海へと続く大きな川。その河川敷の駐車場に車を停めて運転席の窓を開け、遠くの波の音を聞きながらすっかり明るくなった海をぼんやりと眺める。
海は穏やかに凪いでいる。

ふと、遠くに2人の人影を見つけた。
双眼鏡で何やら見ているようだ。
一人は三脚を立てて望遠鏡みたいなものを覗き込んでいる。
やがて1人が三脚をたたんで肩に担ぎ、2人連れ立って一平のいる駐車場に向かって歩いてきた。
ようやく顔が見えるぐらいに近づいてきた時、三脚を担いだ1人がフードを脱ぐ。
「あれ、田中君じゃない?」
「え?」
「やっぱ田中君か。僕だよ、津田。」
津田はパーカーと長靴スタイルでいつものサラサラヘアーを後ろに束ねている。検査所にいるときとはちょっとイメージが違う。
「なんだ津田さんでしたか。おはようございます。」
「何やってんのこんなとこで。」
「何って、津田さんこそ何やってたんですか?」
「鳥を見てた。」
「そう。鳥だよ、鳥。バードウォッチング。」
「あ、こちらは野島さん。」
津田の隣で同じようなパーカー姿で双眼鏡を首に掛け、髪を後ろに束ねた女性が恥ずかしそうにしながらぺこりと頭を下げた。
一平は慌てて車から降りた。
「田中です。津田さんからいつもお世話になっています。」
「初めまして、野島です。へー、津田くん、お世話してるんだ。」
「そりゃそうだよ。僕、先輩なんだから。」
「逆に田中さんからお世話してもらってるんじゃないの?」
「んなことないよ。俺、職場ではこれでもしっかり者で通ってるんだぜ。ねえ、田中君?」
「そんなん言われたら、そうです、としか言いようがないじゃないですか。」
津田と野島さんが顔を見合わせて笑い合う。
「それにしても連休なのにこんなとこいるの?実家帰ったり友達と遊んだりしてんのかなあと思ったのに。」
「いやあ、実家帰ろうにもカネ無くて。こうやってぶらぶらするぐらいしかやることないんですよ。」
津田は野島さんをちらっと見やり、少し目配せをする。
「俺らさ、これからあの山の中腹ぐらいまで行く予定なんだけど、一緒にどうだい?」
津田が、途中で見たあの大きな山を指さして言った。
「え、お邪魔しちゃったら悪いっすよ。」
「全然そんなことないって。ねえ。」
野島さんはニコニコしながらうんうん、と頷いている。
「2台で上がって、あとは自由に。どう?」
「そういう感じなら、お邪魔しちゃおかな…。」
「じゃ、行こう。」
津田達2人は津田の黒い軽自動車に乗り、車を出した。一平も後に続く。

2台の車は郊外へ出て田んぼの中の一本道を走り抜けていく。
田んぼのあちこちではトラクターが動き回っており、田んぼの荒起こしに大忙しの様子だ。
そっか。これから田植えなんだな。
見渡す限りの田んぼ。田植えが終わったらまた来てみたいな…。

走るにつれ、眼前の山がぐいぐいと大きくなってくる。
やがて山道に変わり、今度は曲がりくねった林間の舗装路を疾走する。
木々の間からは青空が見える。
幾重にも続くヘアピンカーブをクリアし、やがて大きな上り坂のカーブに差し掛かった。
カーブを抜けた途端、眼前の視界が一気に開けた。
「うわあ!」
さっき走り抜けてきた平野が圧倒的な広さで広がり、その先は真っ青な海だ!
海の向こうにはぽっかりと島が見える!

視界が開けたすぐ先の駐車場で津田の車が停まり、2人が降りてきた。
一平も隣に横付けし、車を降りる。
「どうだい?」
「すっげえ眺めですね!気持ちいい!」
「でしょ?1回は上がってこなきゃ。」
「あー、クセになりそう…。」
「僕らはもう、中毒患者です。」
津田達が大笑いする。
野島さんは我慢ができないと言わんばかりに展望台の先まで走って行った。
彼女は展望台の柵にたどり着くと、今度は双眼鏡で四方を眺め始めた。
津田が眩しそうに彼女の後ろ姿を眺めている。
「あのさ、彼女と俺、今年一緒になる予定なんだ。」
「へー!やりましたね!おめでとうございます。」
「彼女、ばあちゃんと二人暮らしでさ、僕が転がり込む予定。」
津田がクスクス笑う。
「彼女、ばあちゃんのことだけでなくて仕事のこともあって、郷浜から離れるわけにいかないんだ。だから僕もずっと郷浜にいることにした。ここ、海も山もあってさ、僕、外で色んなことやるの好きだし。」
「地元生まれの彼女と付き合ってるうち、こっちの食べ物とかお祭りなんかも教えてもらって、もっとここのこと好きになっちゃってさ。」
「ずっと、って言ったって、僕ら転勤とかあるんじゃないんですか?」
「そっか。里崎の人事システムのレクチャー、これからだもんね。」
「里崎には地域コミュニティ担当、ってのがあって、これになればずっと同じエリアで仕事ができるんだ。」
「まあ、後で上半期の所長面接の時に説明受けるさ。」
「僕はついてる。彼女に会えたこと。そしてここで仕事見つけたこと。」
「そして仕事をし続けていられそうなこと。」
津田は独り言のようにそう言い、空を仰ぐ。
一平も空を見上げる。

どこまでも青い、青い空に、ぽっかりと白い雲が浮かんでいる。

「おーい、何やってんの!こっち来なさいよ!」
野島さんが展望台の柵のところから双眼鏡でこちらを覗いていた。
「おう!いま行くよ!」
津田がにこりと笑い、じゃあ行こか、と一平に声を掛けた。

<先頭(目次)へ>  <前へ>  <次へ>

この記事を書いている人 - WRITER -
アバター
たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© 元公務員獣医師拓一人のブログ , 2020 All Rights Reserved.