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「いただきまーす!」 第9話

2020/06/21
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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第9話

ゴールデンウィークの長い連休が明け、一平の豚のと畜ライン上での内蔵検査トレーニングが始まった。

内蔵検査ポジションの前に1本のベルトコンベアがある。コンベアには四角いステンレストレイが整然と並んで流れている。
トレイに乗せられた豚の内蔵は、と畜検査員が検査し、食用にならないと判断したものは検査員がトレイから取り上げてシューターに廃棄する。食用になると判断されたもののみがトレイ上に残され、トレイ上の内蔵は最終的に下流の内蔵処理室に送られ、解体業者によって分別・洗浄・整形の後、食肉として流通する仕組みだ。
1頭の豚の内蔵は二つのトレイに分けられて流れてくる。最初のトレイには舌から肺と心臓、肝臓がつながった「赤物」と呼ばれるもの。次のトレイには胃から直腸までつながったもので、これは「白物」と呼ばれる。
内蔵検査は通常2名のと畜検査員が担当する。1名が1頭分を担当し、1頭おきに検査を分担するやり方だ。

ラインスピードに遅れずに判断し、検査と処置を行わなければならない。内蔵検査で1頭にかけることのできる時間は、20秒足らずだ。
このため検査・診断以前にまず、このラインスピードに乗りながら検査手順を一通りやり切って食用にならない部位を切り取って廃棄し、1頭ごとに使ったナイフや手指、エプロンを洗浄するやり方を体得しなければならない。

内蔵検査ポジションの最上流に渡辺。真ん中に一平、そして最下流に我妻係長が立つ。
我妻が解体機器の騒音に負けない大声で最上流の渡辺に怒鳴る。
「ナベさん、田中になるべくスペースやれるよう、一番上流で済ましてくれな。」
渡辺が了解、と手を挙げる。
「いいか、最初はナイフはいらんからしまえ。」
「午前中は白物だけ覚えてもらう。」
「流れの中での整復をまずしっかりマスターしろ。腸管膜リンパ節を大きく露出させ、ナイフを入れる位置を人差し指でなぞれ。」
「了解です。」
一平も大声で返す。

いよいよ1頭目が流れてくる。
渡辺が慣れた手つきであっという間に検査を終わらせ、ナイフと手指の洗浄に入る。
一平は渡辺のすぐ下流側に立ち、2頭目の赤物のトレイをパスし、次のトレイに乗っている白物を両手で掴む。

整復の手順そのものは病畜処理室で練習済みだ。
胃袋を左、腸を右に配置させ、さらに大腸の上に小腸を乗せるようにして小腸の腸管膜を大きく広げ、腸管膜に数珠玉のように連なっている腸管膜リンパ節を露出させる。

流れるトレイの上で整復しようとするが、流れが気になって焦ってしまい、なかなか思うようにいかない。
一平の下流に立っている我妻が、一平に指示を出す。
「よし、そこまで。次の白物やれ。」

次々と送られてくる内蔵と格闘するが、動かない検査台でやるのとは訳が違う。ぐちゃぐちゃのまま我妻に送ること数頭の後、我妻が指示を出す。
「まず胃を左に置け。次に盲腸の付け根を両手で掴み、上に引き上げてみろ。」
豚の盲腸は大きいのでぐちゃぐちゃになっていてもすぐに見つかる。言われたようにやってみると、掴んだ右手の先で腸管膜が大きく開いた。
「それをそのまま大腸の上に乗せるようにして広げればいい。」
「あと何頭かやって、まずその動作をしっかり身に付けろ。」

少し要領を得ると、段々楽に広げられるようになってきた。
「じゃあ次はナイフを出せ。」
「最初はナイフを一旦トレイに置いて、両手で整復して腸管膜リンパ節を大きく出してからナイフを持ち、リンパを切開するんだ。」
言われたとおりにやってみると大きく縦に切開できた。
「ナイフとエプロン洗え。」
「よし、そんな感じでいい。どんどんやれ。」

手順が身に付いてくると、ぐっと楽になり、次の白物を待ち受けるぐらいの余裕が出てきた。
「これが腸ミコな。これは廃棄。」
腸管膜リンパ節の割面にあるクリーム色の結節状の病変を一平に見せた後、我妻は右手にナイフを持ったまま両手で白物を丸ごと持ち上げ、シューターに放り込む。
「こん時に、右手のナイフも一緒に放り込まんよう気を付けろよ。後でシューターの出口で大捜索する羽目になるからな。」
「これは大腸炎で廃棄。」
大腸が赤黒く腫れ上がっている。
我妻が大腸炎を呈した白物をシューターに放り込む。
「こんな感じだ。」
「どんどん整復してナイフを入れてみろ。廃棄だと思ったら声掛けろ。」
はい、と頷き、次々と送られてくる白物を整復してはナイフを入れる。
なんとなくリズムを掴み始めた頃、ナイフを入れた割面に、見覚えのある乳白色の顆粒状の結節が見えた。
よし、廃棄だ!
「係長、これ、廃棄ですか?」
「よし、捨てろ!」
一平がすかさず両手で白物を抱え込み、シューターに投げ入れた。
「ガゴォーン!」
シューターから鈍い衝撃音が響く。
あ…。

恐る恐る我妻の方を見る…。

こちらを鬼の形相で睨み付けている…。
ああ…。いつもよりデカく感じる…。

我妻がすぐ脇のインターホンを取り、怒鳴り付ける。
「内蔵検査だ!施設係長に内蔵シューターにナイフ入ったから頼むと伝えてくれ!」
我妻は手元に流れ続ける内蔵を検査しながら、しかし落ち着いた声で一平に指示する。
「田中、今からここに施設係長来るから、一緒にナイフ取りに行ってこい。」
「すみません、了解です。」

間もなくと畜場の施設管理を担当する施設係長が内蔵検査台にやって来た。
我妻に目礼し、声を掛ける。
「お疲れさまです。えーと、ナイフの件で来たんですが、先生でいいですか?」
「あ、こっちだ。忙しいところ申し訳ない。一緒に行ってもらっていいか?」
じゃ、行きましょ、と施設係長に促され、あとに続いて内蔵検査台を降りる。

内蔵検査台の周囲で作業しながらも、チラチラとこっちを見ている解体作業員さん達の視線を感じる…。みんな、あ、やったな、みたいな顔だ。

ちくしょう。それこそ穴があったら入りたい…。

豚解体ラインの奥扉を開け、通路を進むと廃棄物集積室に着いた。
ドアを開け、中に入ると、豚の脂や血液、腸内容物の匂いが入り交じった独特の臭気に思わず顔をしかめてしまう。
ここは豚解体ラインで発生する皮の切れ端や脂くずに加え、と畜検査で食用不適と判断された豚の内蔵を集積しておく場所だ。廃棄物は豚の解体ラインの各所に張り巡らされたシューターのステンレスパイプを経由して逐次、空気圧で圧送されてくる。

集積室の天井に大きなステンレスのシューター開口部があり、そこから2メートル四方の立方形のステンレス容器に落ちてくる。

「今しがたなら、この中ですな。じゃ、ちょっと待っててください。」
係長が外へ続くシャッターを開け、フォークリフトに乗り込んだ。
手慣れた手付きで開口部の真下にあった容器をフォークリフトに載せて外に出すと、すぐさま空の容器を開口部の下にセットする。
「外で探しますから。」
一平を外に出るよう促し、シャッターを閉めた。
「さーて、ありますかねえ。」
係長が容器を覗き込み、長い棒で廃棄物をひっくり返している。
「ちょっと離れててくださいね。」
再びフォークリフトに乗り、ステンレス缶を持ち上げた。
「少しずつ中身を空の容器に移し替えてみますんで、見つけたら教えて下さい。」
係長が持ち上げた容器の傾け、中身を少しずつ空の容器に移し始めた。

ほどなく、何かが外光を受けてキラリと光った。
「あ、ありましたあ!」
一平がすかさず声を上げる。
フォークリフトを止め、係長が容器を覗き込む。
「あ、よかったですね。」
胃や腸内容物、血液まみれの廃棄した内蔵、皮や脂くずの中から、よいしょとナイフを拾い上げ、一平に渡した。
「刃はだめになっちゃったかもしれませんけど。」
「いえいえ、すみませんでした。ありがとうございました。お忙しいところお騒がせしてすみませんでした。」
「たまにあるんですよ。見つかってよかった。」
施設係長は容器を置いてステンレスの大きなフタをよっこらしょと乗せた後、ではこれで、と言い、と畜場施設内へ入っていった。

ナイフを外蛇口で軽く洗った後、一平はと畜場の検査員控室に戻る。
控室には我妻と渡辺が戻っていて、休憩中だった。
我妻が一平の持ったナイフを見た。
「おう、見つかったか。」
「ありました。お騒がせしてすみませんでした。」
一平は平身低頭だ。
「二度目は、なし、だぞ。」
「捨てる直前にもう一声掛けるのが遅れちまった。俺もまだまだだな。」
「え?」
一平の言葉を遮るように、我妻はインターホンを取り、所内にナイフの一件を報告し始めた。
「君が現場でやることは全部自分の責任。係長はそういう人なんですよ、田中さん。」
渡辺さんがにっこりと笑い、一平に声を掛ける。
渡辺さんはちょっと頭の薄くなった地味目な40代。物腰が柔らかく検査所でもあまり目立たない存在だ。
けど時々、すっと大事なところにいたりする。不思議な人だ。

その日は一日中、白物検査の練習で終わった。

夕方、と畜場から検査所の更衣室に戻った途端、どっと疲れが出てきた。
手元をずっと見られていたから、結構気が張ってたんだな…。

顔をタオルで拭きながら、ふとカレンダーを見る。
あ、今日って給料日だった!
やったあ!今日は外食に決定!
久々に「ほのか」に行こっと!

急いで更衣室を出て検査エリアの廊下を通る途中、細菌検査室のドアガラス越しに木村の姿を見掛ける。
とても真剣な表情で試験管に薬液を注入している。

いつも忙しそうだな…。

話し掛ける隙も見当たらず、すごすごと帰宅した。

アパートに戻り、「ほのか」までの路を歩く。
通りの風景、なんか久々。
のれんをくぐり、引戸を開ける。
早い時間なので他に客はいなかった。
「いらっしゃい!」
カウンターの中からおやじさんのいつもの声。
隣にいたおかみさんが振り向いてにこりと笑い、あら、いらっしゃい、こちらどうぞ、と促した。
「焼き鳥と生ビール下さい。あと、今日は何かお薦めありますか?」
「そうね、じゃ、地元のタラの芽のテンプラなんかいかがです?」
「あ、いただきます!」
カウンターにビールジョッキと付きだしが置かれる。
「これはウドの酢味噌和え。」
へー、と言いながら、一口食べてみる。
鼻の奥に広がるウドの香り!酢のきいた甘味噌が口に広がり、ウドのシャキシャキした歯触りが楽しい!
キンキンに冷えたビールを一気に飲み下す。
「うまい!」
奥で焼き鳥を焼いていたおやじさんが焼き鳥から目線を外さないまま、ニヤリと笑う。
「あいよ。」
焼き鳥を数本のせた皿を出してくれた。
待ってましたとばかりにねぎまにかぶりつく!
そしてまたビールをがぶり!
「ぷはー!」
思わず出してしまった声に、おやじさんとおかみさんが顔を見合わせて笑う。
「いい飲みっぷりねえ。じゃ、これね。」
おかみさんがタラの芽のテンプラを出してくれた。
添えてある塩を付け、ひとかじり。
衣がサックり。そしてタラの芽の風味と柔らかな食感…。
「あー、たまらんですわ。」
「なんか、おっさんくさいわよ。」
おかみさんがクスクス笑う。
「すみません、もう一杯下さい。」
一平は空になったジョッキを差し出す。
はいはい、とおかみさんが受け取った時、背後の引戸がガラガラっと開き、客が一人入ってきた。
「いらっしゃい!おう、毎度!」
「今晩は。」
おやじさんの声に顔を上げ、何気なく客の顔を見ると、入ってきた客と目があった。
「あれ?」
「あ、今晩は。」
モジャモジャ天然パーマの口ひげ。厳選堂の店長だった。
「あら、大岩さんとお知り合い?」
「お店に来てくれて、ね。あ、タラの芽うまそ!僕にも下さい。あとビールね。」
「お久しぶりでしたね。」
「そうですね。」
二人はビールのジョッキを受け取り、ではお近づきのしるしに、と軽くカチリとジョッキを合わせた。
「いや、この前借りてくれた2作、僕も好きで大事にしてる作品なんですよ。なんか嬉しくなっちゃって。」
大岩はビールをぐびぐびと飲んで、続ける。
「あ、企画の話はホントですよ。借りていただいてなんぼなんで、いかに一杯借りてもらえるか、毎日苦心惨憺してるんです。」
「だから色んなジャンルにチャレンジする。この前お貸ししたジャンルだって、大事な売れ線筋。映画でもビデオでも、作品の品質にはこだわりたいんです。」
「大岩さん、あんたは映画の話始まると止まらなくなるから。田中さん、迷惑してるでしょ、ねえ。」
「いえ、僕も映画は大好きで、新作ものから寅さんシリーズまで、ジャンルごたまぜでいろんなの観まくってます。」
「ほらあ、僕の目に狂いはないでしょ!好きな人だな、ってピンと来たんだから!」
大岩さんは胸を張って大威張りだ。
「まあわかったから、これ食えよ。」
おやじさんが小鉢を出してきた。
「そうそう、これですよ、これ。いつものモツ煮。」
「何がなんだかよくわかんないけど、それぞれ違ってて、けど一体感があって。飽きないんだよなあ。大体、これ何?」
大岩が小鉢からひとつ取り出しておやじさんに見せた。
「田中さん、教えてやんなよ。」
おやじさんが一平に振る。
「え?」
大岩は怪訝な顔で一平を見た。
一平は肉片を見てすぐに、大岩に答えた。
「小袋、ですね。豚の。豚の子宮です。」
「え、お肉屋さんなんですか?」
おかみさんがケラケラ笑って手を横に降った。
「ちゃいますってば、大岩さん。この方、獣医さんなんですよ。」
あ、そうなんですか、こりゃどうも、と大岩が頭を掻いた。
「へー、じゃ、これは?」
「それは小腸です。」
へー、と言いながら、大岩は小鉢からひとつまみ取り出し、一平に内蔵の部位を教えてもらってはパクっと口に放り込み、一口ビールをぐびり。次を出してはまた一平に尋ね、ポイっと食べてはまたぐびり。
大岩の食いっぷりを満足そうに眺めながら、おやじさんが一平にも勧める。
「田中さんも食ってみなよ。うちのは他所とは違うぜ。」
「あ、じゃあ僕にも下さい。」
おやじさんが、あいよ、っと小皿をカウンターに出す。
一平が一口食べて思わず唸る。
「全然臭みがないんですね!食感もメリハリあっていろんな味がする。けど、どれも味がバッチリしみてて美味しいです!」
「モツ煮食べたことあったけど、ドロドロで臭みがあって、あんまり得意じゃなかったんですよ。これ、全然違いますね!」
「だろ?田名さんが言ってるドロドロのモツ煮は間違いなく作り置きしたやつだ。うちは当日仕入れた生モツを、当日仕込んで当日売り切り。味付けだって酒と醤油と味噌だけのいたってシンプルなもんさ。鮮度にさえしっかり気を付けりゃ、こんなに簡単でうまいもんねえさ。」
「ボイルしてあるやつを仕入れてモツ煮作る店もあるけど、一番うまいところ全部抜けちまってて、俺に言わせりゃただのゴムみたいなもんだ。」
二人のやり取りをにこにこしながら聞いていた大岩が、一平にこっそり耳打ちをする。
「話変わりますけど、また例のジャンルの新作、アンケートお願いしますよ。」
「喜んで!」
二人は再びジョッキをガチンと合わせ、残りを飲み干した。
「すいません、生中ふたつ!」

「あ、しみてる、で今思い出したんだけど、樹木希林の映画『あん』の永瀬正敏の抑えた演技、あれは沁みたねえ…。」
「それ、僕も観ましたよ!いかったあ。」
「じゃさ、…。」
話の中身は映画談義に変わり、お互いに熱く語り始めた。

二人の回りはもうお客さんで一杯だ。
おやじさんもおかみさんも、もう大忙し。
いつものように「ほのか」の夜は更けていった。

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