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「衛生獣医、木崎勇介」(食肉衛生検査所編) 平成16年(2)

2020/05/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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平成16年(2)

翌日の午後、勇介と西野検査課長は小会議室で向かい合って座っていた。

勇介の話を黙って聞いていた西野は、ようやく口を開いた。
「話は分かった。避けて通れない宿題だったし、何よりも若手自らがやってくれることに価値がある。トップダウンで作って押し付けても、若手が使ってくれなきゃ意味がないからな。」
「ところでどの検査項目に手を付けるつもりだ?」
「うちで検査頻度が高い豚丹毒や敗血症検査法をまず真っ先に。続いて、抗菌性物質の簡易検査に用いる平板作成法、と畜場の衛生管理状態を調べる目的で定期的にやってる枝肉の一般細菌数測定法、各検体から分離した菌の凍結保存方法や菌株リスト管理手順、といったところでしょうか。」
「今うちでやってる検査手法をそのまま文書化して検査実施標準作業書とするのか?」
「いえ、課長もご存知のように、家畜を搬入する業者が県をまたいで複数のと畜場を利用している現状に対応するため、全国どの食肉衛生検査所でも、ある程度同じ検査手法を採用すべきだとの考え方が今は主流となっています。数年前から全国の食肉衛生検査所の間で議論されていて、その議論の場で細菌検査の検査実施標準作業書が作成されていますよね。これを土台としてうちの検査手法を改めて見直した上で、整備します。」

勇介はさらに続けて、
「まず発生はないと思いますが、炭疽は、それと疑う症例に遭遇した場合、直ちにと畜場を閉鎖して検査を行わなければならないので、早急に整備すべきです。加えて、家畜伝染病予防法との整合性を図る目的で新たに検査対象疾病として加えられた萎縮性鼻炎、豚赤痢は、全国の食肉衛生検査所でも検査手法が議論され、一定の手法が提唱されています。うちが担当していると畜場は豚の処理頭数が多いので、すぐ導入しておくべきです。」
「うちの検査手法の設定根拠を、全国の検査所での議論結果とするのだな。それならまずは問題なかろう。ただし、所長までの決済を取り付けるためには、全国の議論結果だけでなく、その検査手法の原著となる学術文献や、設定した検査フローで実際に行った予備試験データも添付した形で整理する必要があるぞ。」
「勿論そのつもりです。」
「そうか。なら、まずは検査導入に必要な資材見積もりと大まかなスケジュール、担当者案を持ってきてくれ。二人で内容を煮詰めて所長と次長に説明に入ろう。簡単なところは俺から話しておく。」
「ありがとうございます。課長なら受けてくれると思ってました。」
「勇介には色々重たいもの背負ってもらってるからな。お安いご用だ。」

西野は郷浜食肉衛生検査所での動物用医薬品モニタリング検査の初代担当者だ。新たに導入されたこの分野での検査経験は、その時期に居合せた獣医師全員、全くのゼロで、回りの同僚・先輩は我先にと逃げ回る有様だった。そんな中で当時の上司から白羽の矢を立てられ、たった一人で悪戦苦闘し、何とかその手法の導入にこぎ着けた苦労人だ。
勇介はその後任者であり、勇介にとって西野は、この分野での師匠と言える。
勇介はモニタリング検査実務の主担当だが、細菌検査の実務も担当しており、これら2分野の実務を総括する立場にあった。

郷浜食肉衛生検査所から車で30分程の住宅地に、勇介の自宅がある。
「ただいま。今日はカレーだね。外まで匂ってたぞ。」
「お疲れさま。あたりです。隆のリクエスト。」
台所の奥から、妻の葉子が迎えた。
葉子とは一緒になってもう15年になる。妻の葉子、長男で小学6年になる隆、長女で小3の律子の4人暮らしだ。
「父ちゃんお帰り。今日ね、お兄ちゃんのラッパ鳴らせたんだよ!」
隆は小学校のブラスバンドでトランペットを担当している。その影響で興味を持ったのか、律子は兄のトランペットをちょっと吹かせてもらったらしい。

「そうか、じゃ、律子も4年生になったらブラバン入るか?」
「入る!みんなと楽器鳴らせたらかっこいいじゃん!」
カレーのスプーンをぐいと突き出し、律子が言った。
「オレも今、みんなと合ってきて、とっても気持ちいいよ。中学入ったら吹奏楽やるんだ。」
そう言いながら、隆が空になったカレー皿を片手に台所へ向かった。
「うちは音楽好きがそろったなあ。ところで父ちゃんは獣医さんなんだけど、だれか一人ぐらい『獣医さんになる!』って言ってくれないもんかねえ。」
「なーんない。大体、父ちゃんが動物のお医者さんってピンとこない。どんなことやってんの?」
律子がカレーをほおばりながら尋ねる。
「仕事場では白衣になって、生きた牛や豚がお肉になるところで色々検査してんだよ。」
「ふーん、なんか、動物のお医者さんっぽくない。」
「俺たちが検査しないと、律子のカレーも豚肉なくなっちゃうんだぞお!」
「えー、お肉ないカレーなんて、やだー!」
「だろ?少しは見直したか?」
「うーん。よくわかんない。」

律子は興味をなくしたのか、カレーがなくなった皿を片手に、台所におかわりをよそいに行った。
「りっちゃんには、父ちゃんも形無しね。はい。父ちゃんは別ナベの辛口カレー。」
葉子が笑いながら勇介の前にカレーを差し出した。

「オレも辛口、挑戦してみよっかな!」
隆は台所で別ナベのフタを開け、中を除き込んでいる。
律子は隣で恐る恐る匂いを嗅いでいた。
葉子がくすくす笑いながら、勇介のカレーを持って台所から居間に入ってきた。

勇介の前にカレーを置きながら、葉子が言った。
「そうそう今日ね、店のあまりものだからあげるって、ノートもらっちゃった。」
葉子は近所の小さな文具店でアルバイトをしている。隆と律子が通う小学校の近くに昔からある、年老いた店主が一人でやっている店だ。
店主が外出している間の店番や配達のほか雑事一般が、葉子の主な仕事だ。店主はおおらかな性格で葉子とも馬が合い、葉子はこの仕事を気に入っているようだ。
店主はたまに、店で売れ残った古びて売り物にならない文具をくれるのだが、それも葉子のお気に入りポイントのひとつになっているらしい。

「でもね最近、おじさん物忘れがひどくなってきて、ちょっと心配。」
「あそこんち、息子夫婦がいるんじゃなかったっけ?そっちからはなんか言ってこないの?」
カレーをほおばりながら、勇介が尋ねた。
「息子さんたちは店にはノータッチ。おじさんもほったらかしって感じよ。」
「ふーん。まあ、あまり気になるようだったら、息子さんたちに少し言っといた方がいいかもな。」
「だよね。」
葉子が台所で自分のカレーをよそいながら言った。

葉子の隣で、隆が辛口カレーをひと口食べてはヒーヒー叫び、律子が大笑いしていた。

翌週の午後、勇介と西野課長は、細菌検査の検査実施標準作業書導入を説明するため、所長室へ入った。
北山所長は勇介の説明をひと通り聞いたのち、大きくうなずいた。

「話は分かった。その内容で進めてくれ。」
「細菌検査法の全国での検討は、食肉衛生検査所が全国に整備され始めた時期、国の機関が複数の食肉衛生検査所と連携してやったのが、一番最初に行われた取り組みだ。敗血症、豚丹毒、膿毒症といった、と畜検査でよく出くわす疾病の検査手法を検討して、提示した経緯がある。」
「この時期の一番の功績は、全国で集積された多くの症例の緻密な肉眼病変所見の記載をもとに、各疾病の肉眼病変の定義付けが行われたことだ。その記述は現在まで全く変わらず受け継がれている。」
「後の検討で検査室でやる検査手法自体はどんどん新しくなっていったが、まず現場検査でどういう症例をそれと疑い、試験室内検査に供するのか。これが試験室内検査の起点となるのだから、検査員はまず肉眼病変の症例定義を熟知しておかなければならない。」
「検査手法の見直し作業のついでに、若手にそれをよく伝えておいてほしい。古い簿冊がまだ残っているから、まずそれを一読させてくれ。」

それを受けて、西野が答える。
「ありがとうございます。若い者が増え、お話にあったような食肉衛生検査所発足当初の取り組みについて知る者も少なくなりました。よく伝えます。」
「検査手法についても当時から現在に至るまでに行われた全国議論の経過を再確認した上で、うちの作業書を整備させたいと思います。」

「所長、ちょっと待ってもらえますか?」
中渡次長が手を上げた。中渡次長は里崎市出身で里崎食肉衛生検査所に長く勤務し、自宅も里崎市内にある。昨年郷浜食肉衛生検査所へ単身赴任し、今年2年目だ。郷浜食肉衛生検査所の次長職は代々、中渡のような里崎食肉衛生検査所のベテラン組が送り込まれている。
「全国の議論結果をベースに細菌検査の作業書を導入すること自体には賛成です。ですが、その前に、里崎食肉衛生検査所とのすり合わせが必要です。そうしないと同じ県で別々の検査法となってしまい、県内での統一性に欠けてしまいます。」

「中渡君の言うことはもっともだ。ただな、中渡君も知っているように、今までも両検査所の検査手法のすり合わせが何度も話題になってきた。そのたびに毎度双方の声のでかい担当者の主張がぶつかり合うだけで、すり合わせなんていまだかつて出来た試しがないじゃないか。同じ県の中ですら話をまとめられなくて、俺は若い奴らに申し訳なくてなあ。」
「こんな程度の低い話は、俺や中渡君の時代で終わりにしよう。これからは全国の議論をベースに検査法を設定することにし、全国の食肉衛生検査所にも胸張って物を言っていこうじゃないか。その端緒を郷浜が切る、たったそれだけのことだ。」
「俺も中渡君も、西野課長も、食肉衛生検査所がうちの県に整備された昭和50年代の、大量採用組だ。団塊世代ってやつだな。里崎も郷浜も、所属する獣医師のうち約半数が、この年代層だ。俺たちがごっそり抜けたあとを考えると、そろそろ勇介たち世代への引き継ぎを始めないといけない。まずは勇介達が必要としていることを後押ししてやろうじゃないか。」
それにこの仕事は、里崎にとっても損のない話だぞ。同じ方針で検査手法を設定しますと方針を決めたあかつきには、郷浜で作った作業書をそのままもらっちゃえばいいんだからな。」
北山所長がにやりと笑った。

中渡次長は苦々しく思いながら、
「所長がそこまでおっしゃるのであれば、私からこれ以上申し上げることはありません。」
「では、決まりだ。西野課長、木崎、よろしく頼む。どれ、一服するか。」
北山所長はそう言うと、所長室を出て行った。
中渡次長は、西野課長と勇介を一瞥し、北山所長の後を追うようにして部屋を後にした。

所長室を二人で出た後、勇介は西野課長から、
「ちょっと」
と声をかけられ、二人で理化学検査室へ入った。

「あのな、昔から里崎も郷浜も、それぞれの地域やその近郊出身の獣医師で占められてて、人事異動でもほとんど地域間の行き来がなかったんだ。今だって次長職だけ里崎出身者が交代で来るだけだろ?だから変な対抗意識が根強くて、些末な事をあげへつらっては目くそ鼻くそのけなし合いが今でも続いている。」
「まあ、もともと地域性も食文化も違うから、しょうがない所もあるけどな。」

西野は続ける。
「と畜場はそれぞれがその地域の歴史や食文化、商習慣と精密に絡まりあって成り立っている。ひとつとして同じ現場はない。だからこそ、限局した地域で家畜生産から販売までの過程があらかた完結していた俺たちの時代の仕事は、エリア完結型でほぼやっていけたんだと思う。」
「けど、同じ業者がそれこそ県をまたいで複数のと畜場を使ってる勇介達の時代の仕事は、違うよな。里崎どころか、全国と折り合っていかないといけない。」
「なあ勇介、この件でこの先、里崎の古株から責められることがあるかもしれないが、気にするな。所長や俺が壁になる。目指している方向が正しいとわかってくれれば、里崎内部からも理解者が出てくるはずだ。」
西野の言葉に、勇介は無言で頷いた。

「じゃ、作戦会議だ。」
平成16年9月、勇介は小会議室に集めた作業書作成担当者に向き合い、説明を始めた。
メンバーは若手の大戸、石川、小杉、高山、加藤だ。
「豚丹毒と敗血症は大戸。抗菌性物質の簡易検査に用いる平板作成法は高山だ。」
国の通知で示されているものはその通知どおりに、また、全国の議論で提示された検査実施標準作業書に記載のあるものはそれをベースにして、細かい部分をうちで実施可能な手法に焼き直したもので作ってほしい。」
「枝肉の一般細菌数測定法と、各検体から分離した菌の凍結保存や菌株リスト管理手順は加藤に頼む。」
「日常の細菌検査の中で分離した菌株の凍結保存や菌株リスト管理手順は全国議論の作業書にも記載がない。とりあえず今うちでやっている手法を文書化し、使用している保存用培地の説明書を添付する形で整理しておいてくれ。」

「萎縮性鼻炎は石川、豚赤痢は小杉だ。このふたつはうちでまだやってない検査だから、まず標準菌株を取り寄せて、全国の議論で提示された検査法どおりの手法で実際に検査してみよう。なので、試薬資材と標準菌株の手配が先だな。」
「炭疽は、全国議論で提示された作業書をベースに、俺がやってみる。」
「これら3つは実際に資材を使ってテストしてみないといけないので、各自担当している仕事が一段落したらそれぞれテストすることにしよう。資材の手配や文書化の作業を進めておいて、体が空いたらすぐ手を付けられるようにしとけばいいさ。」
「小ぎれいにまとめる必要はない。手技の小さなコツまで書き込んだ『実際に使える作業書』を作ってほしい。」
「作業書の様式とフロー図の記入例をファイルで各自に転送するので、それを使って作ってくれ。初稿締め切りは2月末。検査手法の設定根拠となる文献や資料を必ず添付すること。」

大戸が手を挙げた。
「豚丹毒はだいぶ変わっちゃうと思うんですが、いいんですか?」
「これまでの郷浜や里崎流に固執せず、全国で採用されている手法にすり寄っていこうというのが、今回のねらいだ。豚丹毒に関しては、むしろ今まで全国と大きく異なる手法をとっていたのだということを自覚しなきゃな。」
「わかりました。では全国議論の作業書ベースでまとめます。」

高山が手を挙げた。
「僕、モニタリング検査担当なんで、正月明けからでないと取り掛かれないと思いますが、いいですか?」
「モニタリング検査は年末までかかる。なので、高山にはあまり手間のかからない簡易法の平板作成法を頼んだんだ。今やってることを文書化するだけだよ。年明けから体空くから、2月末までならいけるよな?俺もモニタリング担当だぜ。何なら炭疽やるか?検査法のテストもあるぞ?」
勇介はにやりと笑いながら畳みかける。

高山はあわてて、勇介にペコペコ頭を下げながら、拝むような格好で叫んだ。
「いいっす、いいっす、平板作成法やります、やりますよ。いや、やらしてください。」
そんな高山に、にやにやしながら大戸に目配せをして、勇介は続けた。
「まあ何にせよ、みんなお互いにフォローしあって進めてくれよな。ついでに俺のフォローも頼むぞ。」
それを聞いて石川がすかさず口を挟んだ。
「んなの、当り前じゃないっすか。お任せください!」
「またエラそうなこと言って!石川さんが一番心配なんだからね!」
加藤の突っ込みに、小杉が顔を伏せながら思わず吹き出した。

石川と小杉は事務室に戻ってからも、これからの進め方や作業書担当となった検査の内容などを、とりとめもなく話し合っていた。
そばで不機嫌な顔で聞き耳を立てていたのは、村山だ。

村山は勇介より少し年下で、郷浜では若手筆頭の立場にある。しかし、新採の頃から自ら仕事を買って出ることは一切しないタイプだ。たとえ自分の職責で当然こなさなければならない仕事であっても、すかさずだんまりを決め込んで逃げ回り、面倒な仕事は同僚であれ部下であれ、時には先輩である勇介にさえ、お構いなしに押し付けては、簡単なルーチンワークだけをこなして日々を過ごしている。

村山は、自分の左隣に座っている藤岡に目配せし、二人は給湯室へ連れ立って行った。
給湯室でインスタントコーヒーの容器を手に、村山はひそひそ声で藤岡に話しかけた。
「細菌検査の作業書作るんだってよ。めんどくさいこと考えるよな。何やったって給料変わんないんだから、余計な事考えずに言われたことだけやってりゃいいのにさ。」

藤岡は村山の6歳年下、実直だが内向的な性格。公務員仕事についての考え方は、村山と同じスタンスだ。
「まあ、僕らはと畜場の衛生指導の担当で、担当外ですから。どうせこちらには降りかかってきませんよ。俺も興味ないです。あ、これ見てください。先週買ったんですよ。」
藤岡は得意げに左腕につけた高価な腕時計を村山に見せた。
「あ、これ最新モデルじゃん!さすが早いねえ。俺も欲しいなあ。」
村山はコーヒーをすすりながら、藤岡の胸をトンと拳で軽く突いた。

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