長く勤めた自分にしか書けない、そんな記事を。

「衛生獣医、木崎勇介」(食肉衛生検査所編) 平成16年(3)

2020/05/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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平成16年(3)

夕方になっても、蒸し風呂のような暑さは収まらない。しかし細菌検査室は、検査のためにきっちりエアコンを効かせてある。若手にとってはオアシスだ。いつものように作業書作成チームのメンバーが各々の仕事を終え、集まってきた。

「ねえ、景気づけに、作業書チームのみんなで花火行かない?」
細菌検査室で培地を観察しながら加藤が言った。
「いいねえ、やろうぜ!ビール持って枝豆と焼き鳥買い込んで、な!」
石川がオートピペットのチップをケースに充填しながら同意した。

「なあ、どうよ?」
石川が小杉を肘でつつく。小杉はどぎまぎしながら、
「はあ、いいっすけど、僕、あまり飲めませんからね。」
石川は小杉の肩をポンと叩き、
「そういう人、一人いるとすんげえ助かるんだよ。いっそ飲まないで車出してよ。」
「こらこら、また後輩こき使ってんじゃねえよ。」
大戸が石川の頭を軽く小突き、口を挟んだ。
「どうせ道路混むから、車は無理だって。最寄り駅から歩ける距離だから、各自で電車使って、駅からぶらぶら歩けばいいさ。なあ高山、ここの花火、見たことある?」
高山は、興味なさげに言った。
「ないっす。僕、インドア派なんで。」
「あら、お姉さんの浴衣姿、見たくないの?」
加藤が高山に向かってにっこり笑いながら、高山の目を見つめる。
「え!あ、いや、そんなわけじゃあないんすけど。あ、そうだな、僕も行ってみようかな。」
高山がしどろもどろになりながら、あわてて答えた。
石川は腹を抱えて笑いながら、
「よし、決まり!勇介さんには大戸から声かけてくれな。」
と言った。
大戸はにこりと笑って頷いた。

花火の夜。
石川、小杉、高山が駅の改札から出てきた。
石川と小杉はそれぞれ大きなクーラーボックスを肩から掛け、高山は両手に大きなレジ袋を二つぶら下げている。
「しっかし重いなあ。誰がこんなに食うんすか?絶対余っちゃいますよ!」
高山がぶつぶつ文句をいいながら石川の後に続く。
「うっせえなあ。一番盛り上がってる最中に食い物なくなっちゃったらだめでしょうが!こういうものは多目に準備しとくのが社会人のマナーってもんよ。」
石川が言い返した。

「他の人、まだ着いてないみたいですね・・・。あ、来た来た!」
小杉が改札から出てくる勇介、大戸、加藤を見つけた。
加藤は紺色に朝顔柄の浴衣姿だ。
「やっべえ、ホントに浴衣で来やがったぜ、あいつ!」
石川が傍らの小杉を肘で突っついた。小杉も、その隣の高山も、ただ呆然と見とれている。
「わりい、待った?」
大戸が石川達に声を掛けた。
「俺まで来ちゃったけど、よかったのかな。」
勇介がすまなそうに石川に言うと、
「何言ってんすか!作業書チームの隊長がいないと始まんないっしょ!」
と、石川がクーラーボックスを振り上げて言った。
「ちょっとあんたたち、他の人に迷惑掛けないでよ。恥ずかしいから。」
「分かってますって。お前こそ変な男に声掛けられないように気を付けろよ。」
「そんときはあんたたちが何とかしてくれるんでしょ。頼りにしてるわよ。」
加藤は軽くウインクして言った。
「おいおい、ここで飲み始めるわけにはいかんぞ。そろそろ行こうぜ!」

大戸の一声で、一同はゆらゆらと花火会場へと歩き出した。
花火会場の河川敷は既に大勢の見物客でごった返している。
「じゃ、このへんでいっか。」
石川がブルーシートを広げて肩のクーラーボックスをどさりと下ろした。
「あー、重たかったあ。」
続けて、小杉と高山が荷物を下ろす。

「さ、まずは乾杯だよね!」
石川がビールを皆に放り投げる。
ほいきた、とばかり、皆が受けとるのを見届けるや否や、
「かんぱーい!」
と石川がビールを高く掲げ、一気に飲み始めた。
皆も、続けとばかりに一気に流し込む。
「あー、うめえ!」
石川が叫んだ。
小杉は石川の姿を見て、笑い転げている。
「なんか石川さん見てると、こっちまで楽しくなっちゃうな。」
「おーい、んなこと言ってんなよ。お前も楽しめよな!」
石川が言った直後、バシュツ!と一発目が上がった。
皆がビールを片手に夜空を見上げる。
ドーン、という体を貫かんばかりの炸裂音と共に、七色に光る大きな花火が広がった。
これを皮切りに、立て続けに打ち上げられ、たちまち夜空が花火で一杯になった。
皆、全てを忘れたように夜空を見上げていた。

花火は中盤に差し掛かっている。
石川達は、もう、つまみを片手にどんちゃん騒ぎだ。
と、加藤が勇介の肩をちょんちょんと小突いてくる。
「ちょっといいですか。」
「ん?」
加藤と勇介は皆と少し離れたところに並んで座った。
「勇介さんにちょっと言っとこうかなと思ってまして。」
「なんだよ、改まって。」
「私、来春で辞めます。」
「…。」
「大学の時から付き合ってる彼氏が今、開業準備中で、一緒に動物病院やることにしました。来年夏に、式を挙げる予定です。所長と次長には内々にお願いしてありました。」
「そっかあ!いい話じゃないか。おめでとう!」
「小動物の臨床経験、こっから積み上げることになるんで、ちょっと不安なんですけどね。」
「大丈夫。お前ならどこでも通用するさ。けど、加藤が嫁にいっちまうのかあ。あいつらなんか、泣き出しちまうかもなあ。」
勇介は、石川達に向かって顎をしゃくりながら言った。
「今の仕事も、職場のみんなも好きなんですよ。それがなくなっちゃうのがちょっと残念で。」
「いやあ、俺だって残念だよ。加藤から抜けられるのは仕事的にも痛いしなあ。けど長い人生、好きな人とやっていくのが一番だよな。」
「ありがとうございます。」

「ちょっと、二人で何やってんすかあ!」
小杉が勇介と加藤が話し込んでいるのに気付き、大声で叫んだ。
「今行く!小杉君、ビール入ってる?」
加藤は手を振りながら、小杉に駆けて行った。

「秋山さん、いつもすみません。」
猛暑が過ぎ、秋風が吹き始めたとある午後、と畜場の検査員控室でパイプ椅子に深々と座って休憩していた先輩の秋山に、勇介は頭を下げた。

秋山は50代半ば。短く刈りつめた白髪頭。若い頃からと畜場衛生指導と現場検査一筋でこの年までやってきた大ベテランだ。
「おう、任せろ。年は食ってるけど、現場はまだまだやれるぞ。検査室で勇介達を手伝えと言われても無理だけどな。」
秋山はにやりと笑って答えた。

秋から正月明けにかけては、食肉衛生検査所では、日常の現場検査業務やと畜場の衛生指導業務に加え、食肉関係業者への食肉衛生講習会や食品関係団体の研修会、獣医学会への参加など、対外的な行事が加わってくる。これらの業務は、最新の知識を習得するいい機会でもあるため、郷浜では主に中堅以下の職員に担当させている。
こうした事情からこの時期、中堅以下の職員が手薄になってしまうのだが、秋山ら50代の職員が通常の2~3割増で現場検査を負担することで、勇介以下の若手~中堅職員をサポートしてくれている。
(秋山さん達がいるからこそ、若手に色んな経験をしてもらえるのだ。)
勇介はこの時期、いつもそう感じていた。しかし同時に、
(秋山さん達は団塊世代。一気にいなくなる。彼らが一斉に退職する時期、うちの職場は大きく混乱しそうだ。)
とも考えていた。

実は、秋山達の世代は、ある側面で食肉衛生検査所を力強く支えている。
食肉衛生検査所の任務は、日々のと畜検査の確実な実施だけではない。
と畜場を運営し解体処理を行っている業者は、時代のニーズと共にレベルアップしていく国の方針に合うように、と畜場の構造変更や、と畜解体の手法・手順の見直しを日々行っている。これらの見直しには複雑に絡み合った関係業者との調整が避けられない。
これらの案件に、解体処理業者や利用業者の理解を得ながら行政機関として指導を行い、と畜場を国の求める姿に導いていくのが、食肉衛生検査所に求められている最も重要な任務だ。

しかし、「導く」のは簡単ではない。

「人が人を導く(指導する)」ためには、指導する側とされる側の間に信頼関係がなければ成立しないのだ。
秋山世代の職員は、全国に食肉衛生検査所が次々と整備されていった初期の時代からと畜場で働く彼らに寄り添い、苦楽を共にしてきた。
この長い時間をかけた積み上げにより、と畜解体を担う職人として高いプライドを持つ解体処理業者の職員だけでなく、と畜場から食肉や皮、油脂を仕入れる海千山千の関係業者からも、厚い信頼を勝ち取ってきた。
現在の郷浜食肉衛生検査所とこれら関係者との良好な関係は、秋山達の存在なくしてはありえない。
(秋山さん達が仲立ちをしてくれたからこそ、俺も関係者とうまくやってこれた。しかし若い世代は、近年の試験室内検査に関する実務知識に乏しいという一面だけで秋山さん達を軽く見てしまっている。その存在に後押しされていることに気付かず、自分の力量のみで関係者がこっちを向いて指導を聞いてくれていると思っている。これは大きな勘違いだ。)
(最近、と畜場関係者はおろか、うちの職員同士の人付き合いすら面倒くさいと考える若手が増えてきた。いずれ目に見える形で問題が起きるかもしれない。)
勇介は暗澹たる気持ちで検査員控室を後にした。

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