長く勤めた自分にしか書けない、そんな記事を。

「衛生獣医、木崎勇介」(食肉衛生検査所編) 平成19年(2)

2020/05/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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平成19年(2)

郷浜食検は、3つに分かれていた。

ひとつは所長や次長を始めとする数名の里崎からの単身赴任者の集まりで、もうひとつは大戸達若手だ。
3つ目は、もう人の集まりとは言えない。勇介ら郷浜出身の中堅以上の職員だ。
お互いのつながりはあまり強くなく、先の2つのグループの間をただ漂っている。

里崎からの単身赴任者はたびたび事務室内で互いの単身ライフの喜怒哀楽を長々と話すので、付き合わされた若手のひんしゅくを買っていた。
また若手は、里崎出身者に追従してばかりの郷浜出身の中堅以上の職員にも失望していた。

勇介は作業書の一件があったため、若手に余計な波風が立たないよう万事無難に振る舞っていたが、その振る舞い方を見て、こいつも他の郷浜出身中堅組と同じくくりだと、若手に見なされてしまったようだ。
里崎単身赴任者と郷浜出身中堅以上組で形成される今の上層部に愛想を尽かした若手は、自然に細菌検査室に逃げ込むようになった。なにやら存分に話し込んでいるらしい。
郷浜出身の中堅以上は、と畜場の検査員控室に2、3人で集まっては里崎単身赴任組の陰口を言い合っている。

そんな郷浜出身中堅以上と若手には共通点があった。
里崎第一主義へ嫌悪感を持ちつつも、県庁人事筋と太いパイプを持つ里崎単身赴任組を敵に回さないように立ち振る舞った方が無難だ、という態度だ。

変わり果てた職場の雰囲気から逃れるように、勇介は担当するモニタリング検査に没頭した。
この検査の手法や事務の流れは、勇介の異動前とほとんど変わっていなかった。渡会課長はモニタリング検査に関しては門外漢であったため、全く蚊帳の外だったようだ。
(自分の不得手はほったらかしか。あの人らしいな。まあ、おかげで助かった。)
いつものように微量分析機器をセットし、器具類をチェックしていくと、少しずつ検査の感覚を取り戻していく自分を見つけて、ほっとする。
ただ、細菌検査室の前を通る際に大戸達の姿を見かけても、以前のように細菌検査室へ立ち寄ることは、もうなくなってしまった。
ぎこちない毎日が、淡々と過ぎてゆく。

平成19年12月、北山所長が上尾次長を所長室に呼んだ。
「そこ、閉めてくれ。」
北山が事務室に続く所長室のドアを閉めるよう、上尾に指示した。

上尾は意を得たようにドアを閉め、応接セットに腰掛ける。
「春からの配置のことなんだが。」
上尾はすっと北山に顔を寄せ、ことさら小さな声で囁く。
「はい。なにか。」
「木崎をどう思う?」
「そうですね。仕事はやってくれてますけど、郷浜だけで作業書を作ろうとしたりして、里崎を軽んじているようなところがちょっと鼻につきますね。」
「あの生意気な態度が気に食わん。一回お灸を据えてやろうかと思ってるんだが。」
「転勤ですか。」
「そうだ。郷浜では豚の検査ばかりで牛をよく知らんだろう。牛が主力の里崎で鍛え直してやろうと思ってな。そうすりゃ自分に足りない所を自覚して、少しは扱いやすくなるだろう。」
「なるほど、いいお考えです。多分単身赴任となるでしょうから、独り身のつらさも知れば、すっかりおとなしくなるんじゃないでしょうかね。」
「本庁へは、来年はちょうど里崎の中堅層が薄くなる時期だ、とか、木崎のキャリア形成のために必要だ、とかの理由で説明すれば筋は通るだろう。」
「もうひとつ絡むのは、里崎食検の山本だ。あいつも今年昇格年齢になった。里崎で長くモニタリング検査をやらせていたが、他の連中がやりたがらないから、お人好しのあいつ一人にモニタリング検査をやらせていたんだ。山本が抜けると里崎の経験者が一人もいなくなる。そこで木崎、だ。」
「なるほど。名案ですな。」
「それにしても、この2年で郷浜の仕事のやり方もだいぶ里崎式に置き換わったな。渡会のごり押しには毎度うんざりしているが、今回に関してはあいつのおかげで郷浜の連中をおとなしくさせることができた。大変結構なことだ。郷浜の不満の矛先は全部渡会に向くから俺らは無傷で済むしな。」
「郷浜でも万事、里崎と同じように仕事を進めるようにしないと県内での整合性がとれない。私はこの点を一番重視している。」
「私もお手伝いさせていただきます。今後もひとつよろしくお願いします。」
上尾は媚びるような笑みを浮かべながら、相槌を打った。

平成20年3月、内示の日。
事務室には上尾次長と庶務係の担当者、それに勇介の3人が残っていた。
勇介は次年度のモニタリング検査に必要な資材リストを作成していた。

じっと自分の机のパソコンに向かっていた上尾が、突然、声を上げる。
「内示が出たな。」
独り言にしては大きな声だ。いやな感じだ。

勇介は黙ってパソコンの画面を切り替え、公表されたばかりの内示表を確認する。
そこに自分の名前を見つけた。
「里崎食肉衛生検査所、木崎勇介」
郷浜食検に戻ったばかりなのに、もう転勤か。しかも里崎食検。
人事の意図やどういう力が働いたのかを頭の中で懸命に考えてみる。
が、しょせんそんなもの、憶測に過ぎない。
そう自分に言い聞かせ、低く唸った。

庶務担当が事務室の一番奥の自分の席から勇介に声を掛けた。
「木崎さん、どうします?」
「単身で行きます。子供らもまだ学校あるし、嫁さんも仕事あるんで。」
「わかりました。じゃ、それで手続き進めます。大変ですね。」
「いやいや、よろしくお願いします。」

所長室へと続く扉の一番近くに、上尾次長の席がある。
ふと上尾の席を見やると、いつの間にか北山所長が上尾の席の脇に立って、こちらをちらちら見ながら二人で何やら言葉を交わしている。
やがて、所長が勇介を所長室へ呼んだ。
「木崎君、ちょっと。」
北山が手招きして呼ぶ。

勇介が所長室に入ると、温和そうな笑みを湛え、北山がソファーに座るよう促した。
勇介が座ると北山はさらに和やかな顔で勇介に話しかけた。
「木崎君、君のような実力派にはもっとキャリアを積んで、全県を見渡すような仕事をしてもらいたいと思ってたんだ。今回の里崎への転勤は、君の今後の昇格にも大いにプラスに働くはずだ。がんばってくれたまえ。」
そういって北山はポンと勇介の肩を叩いた。
「はい、ありがとうございます。」

「ところで里崎へは単身かね?奥さん達も連れて行けばいいのに。」
「いえ、子供の学校や嫁さんの仕事を考えると、私一人で行くのがよさそうです。」
「そうか。色々ご不便をかけることになるなあ。すまんね。あちらでの生活が困らんよう、先方によく言っておくよ。」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。」

では失礼します、と言い、所長室を出た。
上尾次長は、自席でパソコンの画面を見ているふりをし、出てきた勇介と目を合わせようともしない。
(この分だと里崎での仕事も思いやられるな。)
勇介は上尾の前を横切り、事務室を出た。

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