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「衛生獣医、木崎勇介」(食肉衛生検査所編) 平成23年(2)

2020/05/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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平成23年(2)

平成23年4月。

郷浜食肉衛生検査所の大会議室で、年度当初の全体顔合わせが行われた。
遠くに勇介の姿を見つけていたが、お互いに言葉を交わす機会はなかった。
全体会議後、各自の事務分担が示された。

モニタリング担当者の欄に自分の名前を見つけた大戸は、深いため息をつく。
(前年担当だったから、まあ、予想通りか。またあの日々が始まる・・。)
前を向け、と自分に言い聞かせながら机に戻り、書類の山を整理していると、検査課長となった勇介が近づいてきた。
「よう、久しぶり。またよろしくな。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
大戸は戸惑いながらも、挨拶を返す。
「俺は本来、検査を総括する立場になるべきなんだが、他の仕事分担の事情でモニタリング検査担当が足りなくなってさ。なので俺がモニタリング検査の実務にはまることになったから。」
「え、そうなんですか。」
「邪魔かもしれんが、まあ仲良くやろう。後で作戦会議しようぜ。」
「ありがとうございます。」
勇介はにこりと昔通りの笑顔を見せた後、大戸の席を去っていった。

そして4月の第二週、勇介、大戸、加山、津田の4人は、小会議室に集まった。
モニタリング検査の作戦会議だ。

加山は里崎食肉衛生検査所で数年勤務し、この春郷浜食検へ転入してきた。
研究肌で勉強熱心だが、日頃から言動がきつく好き嫌いが激しい。自分が興味のある仕事には徹底的にのめりこむが、興味のない仕事や職場の雑事は露骨に拒否する態度を決め込む。この性格が災いし、郷浜食検に出されたのではないかと噂が立つほどだ。
この春からも、モニタリング検査なんか絶対やらないと公言してはばからず、それが逆に上司の神経を逆なでし、それならなおさらあいつにやらせろと勇介に指示が飛んできたいきさつがある。

一方、津田は郷浜食検2年目。気さくで人当たりがいい。雑事でも嫌がらずに引き受けてくれる奴だ。昨年の仕事ぶりを当時別の職場にいた勇介が聞くに及び、この春モニタリング検査のメンバーに入れてくれと上司に頼んでいた人物だ。
加山も津田も、モニタリング検査のしんどさを同僚との雑談でよく聞かされていたらしく、会議室でも硬い表情のままだ。

「まあ、ひとつひとつ淡々とやっていこう。」
勇介が話を切り出した。
「まず全員で検査実施標準作業書を見ながら準備と添加回収試験を1回やって、目合わせをしよう。」
「作業書で手技の全てを書き尽くせてる訳じゃないんだ。細かいテクニックやニュアンスは、いい結果を取れている人のやり方を実際に見て覚えるしかないんだよ。」
「それに聞いているとおり、やっている間に様々なトラブルに見舞われる。俺は長く担当してきたが、これから起きるであろうトラブルに全てソツなく対処できる訳でもなく、みんなと同じで、その場その時に一生懸命考えて決断し、前に進む努力をするだけなんだ。」
「俺はさんざん失敗して嫌な思いをたくさんしてきた。俺が君らにできるのはその経験談だけだ。」
「だからトラブルに見舞われても一緒に考える努力をして欲しい。」

「順調なら年末には全スケジュールが完了できる見込みだ。その後年度末までは3月程しか残っていないが、所内業務周りで何か希望があれば、今回大汗をかいてくれた君らの希望がかなえられるよう、俺のやれる範囲で最大限努力させてもらうつもりだ。」
大戸らは硬い表情のまま、お互いにちらちらと顔を見合わせている。

勇介は気にせず続けた。
「じゃ、来週から始めよう。大戸、みんなにこれを回してくれ。当面の作業内容とスケジュールを説明する。」
勇介は大戸に3枚のコピー用紙を渡した。

翌週月曜日、全員で分析機器の準備を始めた。
勇介が配った手順書を見ながら、機器の接続と初期セットアップを全員でやってみる。
ステンレス管の締め付け方、管内への試薬の流入手順と注意点、測定の心臓部となるカラムの取り扱いや取り付け、試薬の前準備、測定データを取り込むパソコンのセットアップ等、準備だけで1日がかりだ。

「去年、波形が全くとれなかった時があったんですが。」
大戸は思わず勇介に問いかける。
「これさ、機器の電源を全部入れてから最後にパソコンの電源入れないと、機器をパソコンが認識できないみたいなんだ。」

(なんだ、そんな簡単なことか。)
大戸は心の中で舌打ちをする。
けど、その簡単なことすら気付かなくて、俺はあんなに苦しんだ。
そう思うと、これまでの疑問や悩みが堰を切ったように頭の中を駆け巡った。

大戸は勇介を質問攻めにした。
「どうしてその手順でつなぐんですか?」
「添加回収試験に使用する抗菌性物質を微量計り取る時、電子天秤が安定しないんですけど。」
「そもそもメスシリンダーやメスフラスコ、メスピペットで試薬をきちんと計り取る方法って、どうやってます?」
加山と津田は、大戸と勇介のやり取りを、訳も分からないままただ茫然と見つめているだけだった。

「今日はここまで。」
「あとは一回測定をスタートさせて、明日朝、うまく検出できているか確認するぞ。」
「それから今日の最後に、抽出や精製作業に使用するミキサーの刃やガラス器具の洗浄方法を覚えてもらう。マイクログラムって百万分の1グラムのことだけど、その下2桁までをターゲットにする微量物質の検査って、これが一番大事なんだ。やり方が雑だと筋肉成分なんかがこびりついてトラブルの原因になる。」
「一番怖いのは添加回収試験の時に使用する抗菌性物質の洗い残しだ。こいつが器具とか容器とかに残っていると検査結果がめちゃくちゃになる。」
「3人とも同じニュアンスで洗えるように、最初は3人でやってみてくれ。」
3人は洗い場に張り出されたマニュアルを見ながら器具洗浄に取り掛かった。

翌日は添加回収試験の目合わせだ。
「添加した肉から標的物質を抽出し、精製する作業手順は、作業書のフロー図通りだ。手順そのものは作業書のフロー図どおりに1、2回やれば、すぐみんな一通りできるようになる。」
「ここでのツボは、器具操作のニュアンスだ。これがすなわち回収率に直接影響する。」
「作業書にも注意点としてコメントを残すようにしてみているけど、とても全部のニュアンスまで書ききれないんだ。だから、目で見てやってみて、自分で覚えてもらうしかない。」
「今日、各ステップをゆっくりやっていくから、やってみて。」
勇介の操作をまねながら、各自、手技をやってみる。

勇介の手技を見て、大戸は驚きの連続だった。
ミキサーの刃の洗い込み、容器からの抽出溶媒の移し替えのニュアンス、精製作業での細かい操作。
抽出・精製操作と並行に行う分析機器のスタートアップ作業。
汚してはいけない器具や容器に抗菌性物質が付着しないよう配慮された厳密な機材管理や手技の手順。
自分のやり方とまるで違う。

去年やり始めた時、検査実施標準作業書どおりにやればできる、と甘く見ていた。
その結果は悲惨を極めた。

勇介の手技を見て思う。検査実施標準作業書は最低限の手順が書かれているに過ぎない。
キモとなるのは正に書き込みきれていない部分だし、ここを実地できちんと引き継ぐことが、この検査のキモだ。
大戸は検査フロー図に各工程の手技のニュアンスの違いだけでなく、機材管理や手順の意味を必死にメモしながら、身に染みて感じていた。

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