長く勤めた自分にしか書けない、そんな記事を。

「衛生獣医、木崎勇介」(食肉衛生検査所編) 平成23年(3)

2020/05/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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平成23年(3)

夕方、ようやく各自1本ずつ、分析機器にセットできる試験品を仕上げた。

「あとはこいつを測定してみよう。加山、大戸に教えてもらいながら機器に試験品をセットしてスタートさせてみろ。」
「え、あ、はい。」
大戸に聞きながら、加山は恐る恐る手を動かし始めた。
「毎日の測定スタートと後始末の手順は加山と津田にも覚えてもらう。本試験が始まるまでに自分でやれるようにしといてくれ。」
え、もうやらされんのか?
ややこしいところは勇介と大戸がやってくれるもんだろうと思い込んでいた加山と津田は、ますます不安になった。

「器具洗浄、3人で頼むな。俺、上で打ち合わせあるんで。」
勇介が理化学検査室を去ると、洗い場でガラス器具と洗浄ブラシを掴んでいた加山が、すかさず文句を言い始めた。
「あー、めんどくせー!だからやなんだよ。よくこんなのやってるよな。誰か代わってくんないかなあ。なあ、津田。」
「さあ。開き直ってやるしかないんじゃないっすかね。」
「大体さあ、俺の分野は細菌検査だっつうの。人の使い方間違ってんだよ。」
津田は黙って手を動かし続けている。

(いちいちうるせえ奴だ。じゃあ去年からやらされてる俺は一体なんだって言うんだ。我慢してんのはお前だけじゃねえよ。暴言まき散らして周りの人間まで不愉快にさせるんじゃねえ!)
隣の検査テーブルで洗浄済みのガラス器具を乾燥機に入れていた大戸が、大声を出しそうになるのをかろうじてこらえる。
ぐっと言葉を飲み込み、大戸は加山に言った。
「じゃ、俺、事務室行くわ。」

事務室に行くと、勇介が2人の細菌検査担当と打ち合わせ中だった。
と畜場衛生を担当する指導課は課長以下課員全員が小会議室で打ち合わせ中だ。
どうも管内の1養豚場でサルモネラ症が発生したらしい。豚サルモネラ症はと畜検査の検査対象疾病だ。
現在家畜保健衛生所が農場の清浄化対策を講じている最中で、症状が回復した豚群のと畜場受け入れをどう進めるか、それに際して検査所側でどのような検査体制で待ち受けるのか、先程まで家畜保健衛生所と検査所上層部で協議が行われていたらしい。
勇介たちはその協議結果を受けて、サルモネラ発症農場からの搬入豚に対する試験室内検査体制について担当レベルでの打ち合わせに入っている。
サンプリング手順や検査手技の確認、試薬資材の発注、担当間の役割分担等、離れて聞いているこっちまでつい緊張感が走ってしまう。
打ち合わせの輪の中で、勇介が矢継ぎ早にチェックを入れ、指示を飛ばしている。

(細菌検査担当に丸投げしないで自分で確認してる。まあ検査課長だから当然か。しかしモニタリング検査の実務までやってんのに、よくやるよな。)
大戸は自分の机の書類を片付け、お先に失礼します、と言い、事務室から出た。

翌日、添加回収試験の結果が出た。
加山が最も成績が良く、90%を超えている。続いて大戸が85%、津田が67%だ。勇介は87%という結果だった。
「えー、本当っすかあ?」
加山は鼻高々だ。津田はすっかりしょげ返っている。大戸は加山より成績が悪かったので、かなり不満気だ。

勇介が言う。
「いいか。実際の検査は2人1組になり、2チームで回していく。だから、一人だけ成績が良くても検査が成立しないんだ。」
「大事なのは一人で100点取ることじゃなくて、みんなが合格ラインの70点以上取れるようになることなんだ。」
「だからまず加山と自分たちのニュアンスの違いを共有し合って、自分の操作のニュアンスを修正していこう。」
「なあ、加山、昨日やった時の各工程のニュアンスを教えてくれないか?」

勇介からこう尋ねられ、ますます鼻高々になった加山は、
「まずここをこうしました。あとはここをこうして。」
と得々と話し始めた。
大戸と津田は渋々その違いを聞き取り、メモしていく。
「よし一通り終わったな。今日は添加回収試験の本試験にチャレンジするぞ。」
昨日一回やっているので、皆の動きに無駄が少なくなっている。
手早く各所に散り、本試験が始まった。

本試験の結果は、大戸と津田が90%越え、加山が68%だった。
「えー、なんで!」
今度は加山が頭を抱える番だ。

ゆっくりと勇介が話し始める。
「昨日加山が言ってたニュアンス以外にも、勘所があったということだよ。勘所をつかんでいなくても無意識にできちゃってしまうことも多々あるんだ。みんなで操作の勘所を共有できなければ、チームで安定した回収率を確保することはできない。」

「つまり先には進めない、ということだ。」
勇介の瞳の奥が鈍く光る。

「さあ、またダメ出ししようか。」
勇介に促されても、加山は真っ赤な顔で検査フロー図を睨みつけている。
今度は大戸と津田が二人で熱心に議論をし始めた。

隣でだんまりを決め込んでいた加山だったが、二人の議論に口を挟みたい気持ちを抑えることができず、
「そこじゃないってば!」
と、ついに口を挟み、三人で大議論が始まった。

(こいつは根っから研究肌の人間だ。手技を熟成させていい結果を「獲る」のは、研究者の本能だ。)
(いいチームになるかもな。)
勇介は手応えを感じていた。

2度目の添加回収本試験は皆合格。直ちに本番検査に移った。

ここからは実際にと畜場で解体処理された家畜から筋肉を採取して検査を行い、その結果を通知書の形にして食肉の所有者へ郵送する作業だ。
「チームは俺と大戸、加山と津田の2チームだ。」
「大戸には日々の検査の他、様々な文書事務や精度管理業務の引継ぎをしてもらいたいから、こう組ませてもらう。」
加山と津田はすごく不安げな表情でお互いの顔を見合わせている。
「加山と津田、お互いに少々不安かもしれんが、分からないことがあったらすぐ相談してくれ。」
「大丈夫だってば。やれるから。できない奴には頼まんよ。何やらかしても俺が何とかすっからさ。」
勇介がにこりと笑いながら、じゃ、大戸、打ち合わせだ、と大戸を連れて理化学検査室を出て行った。

「加山さん。よろしくお願いします。」
津田が恐る恐る加山に言う。
「お、おう。やってやるぜ。」

加山さんってこんな表情するんだっけ?
津田は少しだけ不安感が和らぐのを感じていた。

そこからモニタリングチームの快進撃が始まる。

ほぼノーミスでひとつめの本番検査を終えた。
立て続けにふたつめの準備に入り、これもお盆過ぎに完了。
9月から最後の検査に入り、様々な事務手続きや精度管理作業もクリアし、クリスマス前に全ての検査スケジュールを終了させることができた。

「お疲れさん。」
勇介が大戸に声を掛ける。勇介も嬉しそうだ。
「お疲れ様でした。ありがとうございました。」
「何言ってんだよ。全部君らがやったんじゃないか。」
「あの、勇介さん、ちょっと時間もらえますか?お話ししたいことがあって。」
「ん?ああ、いいよ。じゃ、ちょっと一杯行くか。」
「ええ。」

外は雪だ。街並みにはクリスマスの飾り付けが溢れ、年末の雰囲気一色だ。
二人で小さな居酒屋に入る。

「じゃ、乾杯だ。」
ビールのジョッキをカチリと鳴らし、二人でぐいと飲む。
このひと口がたまらない。

勇介が焼き鳥をひとかじりする。
「俺、小動物行きます。」
大戸がポツリと言った。

「そうか。」
勇介は枝豆を手に取り、ぽいぽいと口に運んでいる。
「2年ぐらい前から休みの日に友達の病院で研修させてもらってました。」
「会社勤めの彼女も賛成してくれて。二人でやっていければいいなと。」
「そうか。」

大戸はビールを一口飲み、続ける。
「検査所の仕事、俺は好きです。自分に合ってると思ってます。」
「でも根が職人なんすよね。俺。」
「自分で一生懸命積み上げてきたものを理由もなくいっぺんにチャラにされるのは、耐えられません。」
「このまま検査所にい続けられるわけはなく、勇介さんみたいに保健所とか県庁とか行かされるんですよね。」
「そのたびにまた積み直し。」
「技術って日々進化するじゃないですか。行った先の仕事をいちから積み直している間に今の仕事のレベルから取り残されちゃって、元の仕事に戻っても取り返すなんて無理です。」
「しっかりあっためといて戻ったらまたやればいいさ、なんて言う人もいるけど、俺はそんなに器用じゃないっす。」

また一口飲み、続ける。
「勇介さんはどうして県に入ったんですか?」

勇介がゆっくりビールを飲み干し、おかわり、と店主に言った後、大戸の顔を見て言った。
「俺はたまたま入っただけなんだ。」
「卒業決まっても行くあてがなくてさ、大学の学生課に募集が出てた首都圏の小さな動物病院に勤め始めたんだ。」
へい、お待ち、と、ビールが卓に置かれる。
それを掴み、勇介が続ける。
「小動物臨床は、やってみるときついけど濃厚な時間で、やりがいがあったよ。」
「このまま小動物の世界でやっていこうかなと思ってた。」
「けどな、2つめの病院に行ったとき、そこの院長から言われたことがあったんだ。」
「俺の夢はまず1億稼ぐことだ、そしてポルシェに乗ることだ、とな。」
「俺はそん時初めて気がついたよ。動物病院だって商売屋のひとつに過ぎない。利益を出さないと生きていけない。」
「それに患者さんのニーズに応えるためにどんどん検査機器やスタッフを入れないといけない。」
「要は、拡大し続けないといけないんだ。」
「もっと言えば、金を儲け続けなければいけない。」
「金、金、金。俺はそういう生き方を望んでいるのか?」
「どうも違うと俺の中の俺が言う。」
「でもどんな生き方をしていけばいいのか、さっぱり見当がつかなかった。」
「ただ、この世界には俺みたいな生ぬるい奴は合わない、去るべきだ、と思ったよ。」
「そしてふらふらと獣医とは関係ないアルバイトをして日々を過ごしていたら、里崎県の募集を見た親がどうだ、と俺に言ってきた訳だ。」
「何もしないと飯が食えないから、という理由だけで県を受けることにした。そしてなんやかんやで今、ここにいる。」
「学生の時に話だけは聞いてたけど、県に入ってから初めて検査所って仕事を知った。他の獣医師職場もな。」
「もらえる金が動物病院の代診時代とは比べ物にならない程高かったんで、言われた仕事は何でもやったよ。」
「まあ、そんだけ貧乏が身に染みて嫌だったんだな。」

勇介は苦笑いし、続ける。
「3年位して、モニタリング検査の担当として西野さんの下についた。」
「俺も職人肌だったんだろうな。自分で試行錯誤していい結果をコンスタントに取れるようになるとだんだん楽しくなってきてな。」
「他の人はめんどくさがって逃げ回ってたけど、まあいいか、と俺は思った。自分の専門分野を一個もらえるわけだからな。」
「自分のやれる分野を広げとくと、上司からもアテにされるようになる。そうすると職場での立場もぐっと楽になることに気付いた。」
「スキを見て細菌検査にも首突っ込んで、嫌がる上司から無理やり検査をぶん捕ったりもしたな。」

にやにやしながら、続ける。
「そのうち嫁さんと知り合って結婚し、子供達が生まれた。」
「家族ができるとさ、色んな事が起きる。子供の病気、次の子の出産、町内会、幼稚園行事から学校行事。」
「最近は近くに住む親のこととかもな。」
「そのひとつひとつに対処しながら目の前の仕事こなしているうちに、どんどん自分の中で優先順序が代わってきたよ。」
「もうなんでもやったるわい、ってな。」
「そう思い始めたとたん、何故か目の前の仕事が一気に見えてきた。」
「転勤した先々の職場の中に、自分のやるべき仕事がまだこんなにある、どうせやるなら子供達から『うちの親父はぬるい仕事やってんな』と馬鹿にされないように、手を抜かんで仕事に向き合って、胸張って給料もらってやろうとな。」
「誇りをもって目の前の仕事に立ち向かう。これはどこの職場でも一緒だよな。獣医師であることへのこだわりはあるが、それ以前に社会人としてのプライドを持って目の前の仕事に立ち向かう、これは結構かっこいいぞ、と。」

「だからますます何でもやるようになっちゃった。」
かかか、と勇介は高笑いした。
「な、参考にならんだろ?」
「んなことないっすよ。よくわかりました。」
大きく息を吸い、大戸が言う。
「俺、来春で辞めます。今までありがとうございました。」
「話してくれてありがとう。あと三ヵ月。よろしくな。」
ええ、と言い、大戸はビールを一気に飲み干した。

平成24年3月。
毎年、この日はやって来る。人事異動の内示の日だ。

大戸と勇介は、この日も理化学検査室にいた。次年度のモニタリング検査に使う試薬の在庫チェックだ。
「文書事務や精度管理の引継ぎは加山に交代してもらっているから、来年度は一安心ですね。」
「そうだな。大戸や加山に聞いてもらいながら、実は自分の頭の整理もしていたんだ。要点をまとめたものを残しておこうかと、今作業している最中でな。」
「それに俺や加山は今年度来たばっかだから、すぐまた異動、なんてことはないかなと思ってさ。」
「1年担当しただけの加山一人じゃ大変だろうけど、俺がそのままやってればいいかなと。」
「まだがんばるんですか。よくやりますねえ。」
「んなこと言うなら開業やめて来年も残るか?」
「お断りします。」
大戸はにやりと笑い返した。

と、内線電話が鳴った。
「はい理化学室。え!」
「・・・はい。伝えます。」
大戸が受話器を置き、勇介を見る。
「勇介さん、保健所に転勤です。郷浜保健所。」
試薬ビンを持つ勇介の手が止まった。

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