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「衛生獣医、木崎勇介」(食肉衛生検査所編) 平成28年(1)

2020/05/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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平成28年(1)

そしてさらに時は流れる。

平成28年5月の朝。
勇介は郷浜食肉衛生検査所の事務室にいた。
勇介の机は事務室から所長室に続くドアの前にある。
郷浜食肉衛生検査所の次長の席だ。

毎年の人事異動のたびに団塊世代の大量退職で空いたポストを次々と押し付けられながら、今年度からこの机に座れと言われた。
毎日、あまたの印刷物やメールが大量に押し寄せてくる。
やるしかないと自分に言い聞かせ、調整に時間がかかるもの、簡単に処理できそうなものに振り分け、まず簡単な方から目を通し、判子を押していった。

と、山浦所長が勇介の机に近づいてきた。
「ちょっといいか?」
「はい。」
所長室に入ると、山浦がそこ閉めてくれ、と眼で合図する。
所長室のドアを閉め、応接セットに腰掛けた。
「なにか。」
「早瀬が来てな。結婚するから転勤させてくれという希望はすぐかなえられるのに、ずっと言い続けている自分の転勤希望が通らないのは納得できないと言ってきた。」
「人事では家庭事情が優先されますからね。」
「またその分、どんな仕事がしたいからどこの職場に行きたい、という理由は一番後回しにされる。」
「県に採用される時に、希望通りに配置されるとは限らない、って、一番最初に必ず念を押される。それを了解した上で入ってきたはずなのにな。早瀬はもう忘れてる。」

「それと早瀬はこうも言ってる。」
「子育てしてる女性職員は年に何回もある休日のと畜場開場への勤務がゆるかったり、遠距離の出張、長期の出張が免除されてる。それに子供の病気なんかで急に不在になりがちなので、スケジュールのきつい仕事や対外的な交渉事など、責任の重い仕事や負担を強いられる仕事は、自分たち若手の単身者にばかり振られている。不公平だ、とな。」
「子育て職員への支援は県の主要方針だ。しかし、それが他の職員の負担にならないよう工夫する必要がある。」
「何か策を考えてもらえないか。」

「子育て真っ盛りのうちの職員、山田と石野に次年度の学会発表に向けた調査をやってもらってはどうでしょうか。」
「発表会に向けた調査は毎年の恒例行事ですが、時間も体力も使う仕事です。これを負担してもらえれば、早瀬のような不満を持つ者達にも、少しは前向きになってもらえるかなと思うんですが。」
「なるほど。しかしくれぐれも彼女らの重荷にならないように配慮してくれ。」
「まずは打診してみてくれるか?」
「わかりました。やってみます。」

まず所長と検査課長とで下打ち合わせを行った。

その翌日の午後、勇介は意を決して検査課の机に近づいた。
「山田さんと石野さん、それと検査課長、ちょっといいか?」
「少し話を聞いてもらいたい。小会議室に頼む。」

小会議室に入り、4人はテーブルに着く。
山田と石野は警戒した表情だ。
勇介がこれから何を言い出そうとしているのか、図りかねている。

「実はうちの仕事分担について、ひとつお願いがあるんだ。」
「山田さんと石野さんはまだお子さんが小さかったり、小学生だったりしてるので、日々色々あるだろうからと県外出張や休日の現場検査に配慮させてもらってた。」
「ただ、私としては君たちに配慮するのと同時に、君たちの代わりに県外出張や長期出張、休日の現場検査を負担してもらっている人達の事も考えなければいけない。」

「毎年やってる学会発表なんだけどな。」
「時間も手間もかかる仕事だ。それに学会発表はほぼ県外で行われるから、二人も知っての通り、今までは県外出張が可能な人に調査から発表まで全てやってもらってた。」
「しかしチームでやる仕事と考えれば、何も同じ人が一から十まで負担する必要はない。調査と発表の二つの業務に分けて分担すればいい。」

「そこで提案なんだが、次年度の学会発表対策のうち、調査部分の作業を担当してもらえないだろうか。」
山田と石野の顔に戸惑いの表情が走る。
「君たちの他に、県外出張が可能な人をチームに加える。発表自体はその人にお願いするつもりだ。君らには学会発表を想定したテーマを決めてデータを積み上げ、発表シナリオを作ってもらいたいんだ。」
「勤務時間の中で調査できるよう現場検査のシフトを組み、必要な時間は確保する。」
「調査に必要な予算は確保するよう、検査課長にお願いしてある。」
「どうだろうか。やってもらえるかな?」

石野が口を開く。
「私、発表できそうなネタなんてないですけど。」

「いけそうかな、というネタ、ひとつあるんだ。」
傍らで黙って聞いていた検査課長が声を出した。
「誰かがやってくれれば、と思っていたけど、お願いできそうな人を探せなくて、ずっと温めてたんだ。」

山田と石野は互いの顔を見合わせている。どう返事をすべきか困っているようだ。

早瀬達、単身の若手が自分達に対して陰で不満を言っているのは、気付いていた。
でも、できることなら重たい仕事は抱えたくない。
職場に守って貰いながら、気付かないふりをしてこのまま軽い仕事だけやって、日々を過ごしていたい。

勇介はさらにひと押ししてみる。
「これからは女性だろうが男性だろうが、育休をどんどん取ってもらわないといけない時代だ。メンバー構成に応じて仕事分担を組み替えながら、みんなで仕事を負担し合っていかないと、職場そのものが成立しなくなる。」
「どうだろうか。やってもらえないか?」
山田と石野は互いの様子を窺っている。

しばしの沈黙の後、ついに石野が答えた。
「うまくできるか分かりませんけど。私、やってみます。」
「え!あ、私も。」
山田はあわてて追随した。
「ありがとう。大変助かるよ。詳しくは検査課長と進めてくれ。」
じゃ、俺はこれで、と後を検査課長に任せ、勇介は小会議室を出た。

すぐ所長室に入り、山浦所長へ経過を連絡する。
「それでも早瀬の不満は解消されないかもしれない。」
山浦は窓の外を見ながら呟く。
「自分の希望通りの人事にならないというのが、奴の不満の根っこだからな。」
「ここから先は俺が引き受ける。」
「どうすれば奴が前向きになってくれるか。これを考えるのは俺の仕事だ。」
(早瀬という人物を見捨てていない。山浦さんらしいな。)
勇介は一礼して所長室を出た。

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