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「衛生獣医、木崎勇介」(食肉衛生検査所編) 平成28年(4) 最終話

2020/05/29
 
 
 
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たく かずと(ペンネーム) 某県で20数年公衆衛生獣医師として勤務し、退職。 家族とともに地元の自然と旬の味覚を存分に味わう日々を楽しんでいます。

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平成28年(4) 最終話

平成28年10月。

週末の午後。
早瀬はアパートにいた。

窓からは昼下がりの日差しが差し込み、手元に開いた英字文献のコピーを照らしている。
傍らには汁の残ったカップ麺の容器。
読み散らかした雑誌。
洗濯物の山。
外からは公園で遊んでいる子供達の楽しそうな声が聞こえてくる。
さっきまで弾んだ話し声が聞こえていた隣の男は、彼女と出掛けたようだ。

文献を読もうとするが、全く頭に入らない。

前にいた研究機関を出されたのが、ケチの付き始めだった。

民間の研究機関は完全成果主義。門を叩くことすら至難の業だ。
地方自治体の研究職はどうだろう。今は公務員獣医師のなり手がいないと聞くから、都市部はともかく、田舎の自治体なら手を挙げればすぐ採用されるんじゃないか、と考えた。
案の定、県の獣医職に応募したら、簡単な試験ですぐに採用が決まった。

配属先は食肉衛生検査所。
面接で希望通りに配属されるとは限らない、と釘を刺されたものの、博士号を持ち、有名な研究機関に所属していた自分だ。
県の研究機関なんか、2、3年も我慢すれば、すぐ配属されるだろうと高を括っていた。

なのに採用されて5年も経ってしまった。
2年目まではまあ、来年辺りだろうとのんびり構えていた。

しかし、どうも異動できそうな気配がない。
その翌年からの人事ヒアリングで、歴代の所長に異動希望を訴え続けた。
ヒアリングではどの所長も聞こえの良いことばかり言ってくる。
が、決まって最後に言われるのは、
「希望は上に伝える。」
ということだけ。

なんだよそれ。

内示を見れば、結局毎年、検査所に残留。
毎日毎日、面白くもない現場検査。
検査室内検査も、ただのやっつけ仕事。
マニュアルもろくにない仕事ばかりで、古い奴らは俺の仕事を見て覚えろ、の一点張り。

昭和かよ。
教える気もないなら、こっちだって教わる気もない。
検査所なんて、僕がやる仕事じゃない。

細菌検査を教えてやった山田と石野はどんどん仕上がってきて、自分に聞きに来ることはほとんどなくなった。
いい話し相手だった矢作は最近、何故かあまり話しかけてこなくなった。

日が傾き、部屋がオレンジ色の染まっていく。

なんか自分だけひとりぼっちだ。
自宅でも、職場でも。

全部アホらしくなってきた。
外から聞こえる楽しそうな子供の声が、心に突き刺さる。

早瀬は窓を閉めてカーテンを引き、蛍光灯のスイッチを入れた。

平成28年11月。

人事ヒアリングが始まった。

早瀬は所長室に入った。
「やあ、今日は色々話を聞かせてくれ。」
「はい。」
「ご実家の皆さんはご健在かな?」
「ええ。元気です。仕事もまだ現役です。」
「早瀬君自身の身体の調子とかはどうかな?」
「まあ、いいです。」
「それならよかった。」
「気のせいかもしれないが、なんか考え込んでいるように見えたんでね。」
「え、そう見えましたか?」
「いやいや、気を悪くせんでくれな。年取るとなんでも気にし過ぎる嫌いがあるようでさ。かみさんからもほらまた始まった、とか言われちまうんだ。」
山浦所長は苦笑しながら頭を掻いた。
早瀬もつられて苦笑いをする。

「さて、今日は人事について色々希望を聞かせてもらうよ。」
「君の希望は春先に一回聞いているが、それから変わりはあるのかな?」
「ないです。」
「衛生研究所に行かせてください。」
「君が今まで出してきた希望については、去年の所長からも引き継ぎを受けている。」
「今年も希望があったことは上に伝える。」
「我慢続きで申し訳ないが、人事は色んな事情が絡まり合って出来上がっていくものだ。やりたい仕事をやらせてくれ、と言っても、なかなか希望通りには行かない。」

(またそれか。)
早瀬は心の中で舌打ちをする。
「所長、県が自分を異動させる気がないなら、辞めてもいいんですけど。」
「そうか。そこまで考え込んでいたのか。」
「大変申し訳ない。」
「所長になってさえ、自分の異動先すら決めさせてもらえない私だ。」
「努力はする。しかし来年必ず君を衛生研究所へ異動させる、なんて約束はできない。」
「本当に申し訳ない。」
山浦は深々と頭を下げた。

早瀬はその姿をじっと見つめた。
早瀬は所長室の窓ごしに、外に視線を移す。

空は重苦しい雲で満たされ、強い風が吹き荒れている。
また吹雪吹き荒れる冬がやって来るのか。

ようやく早瀬が山浦に向き直る。
「この前ちょっと思ったんです。」
「ん?」
「僕の居場所はどこだ?って。」
「そうか。」

再び、沈黙の時が過ぎた。

やがて山浦が口を開いた。
「君の願いにきちんと答えることができない私だが、できることがあれば言ってくれ。」
「どうか、ひとりで考え込まないでくれな。色んな人の話を聞いてみると、違うものも見えてくる。」
その言葉に弾かれたように早瀬が、つと顔を上げる。
「僕、いつも一人なんで。」
山浦は真っ直ぐな早瀬の眼差しを受け止めるのが精一杯だった。

一週間後、早瀬が人事調書を山浦所長に提出した。

異動希望欄にはただ一行書いてあるだけだった。

「今年度末で退職します。」

人事ヒアリングの最終日、山浦は最後に勇介を所長室に呼んだ。

「最後は君の番だ。」
「今までどうもありがとう。」
「いえ、こちらこそありがとうございました。」
「大変残念だ。これからの準備もあるだろうが、年度末までよろしく頼むな。」
「よろしくお願いします。」

次年度以降に大きな組織改編が予定されており、この夏、その大枠が県庁人事当局と部長級レベルで決定されていた。
大枠というものの、その中には詳細な人事配置案が添付されており、それによると勇介は少なくとも次年度以降退職まで郷浜エリアでの勤務は見込めない、というものだった。

勇介は今年までの数年の勤務の中で、心に決めていたことがあった。
「仕事は何でもやる。しかしただひとつ、俺は郷浜から出ない。これだけは譲らない。」
そう決めてからは、その意思と理由を毎年人事調書へ記載し、上層部へ伝え続けていた。
そこに、郷浜から出ろという指示が来た。

それだけのことだ。

いつかこの日が来るだろうと思っていたが、それが今年だった。
大枠の内容が知らされた後、直ちに年度末での退職を申し出た。
そして、受理された。

平成29年4月。

郷浜食肉衛生検査所検査課の津田は、2年目の佐藤と細菌検査室で検査中だ。

「津田さん、細菌検査のマニュアルってないんですね。皆さん自分のメモでやってるから、聞く人でみんな言ってること違ってて、ちょっと困ってるんですけど。」
「実は前から俺もそう思っててさ。ちょっと課長に相談してみるか。」

津田は事務室の検査課長の席に向かう。
課長席には巨体の男が座っていた。
男は試薬や実験器具のカタログを山積みにしてパソコンのキーを叩き続けている。なにかの検査経費を積算している様子だった。
「石川課長、ちょっとご相談があるんですが。」
「ん?」
石川と呼ばれた巨体の男が視線を上げる。
男は黒縁丸メガネを掛けていた。
「細菌検査のマニュアル、作ろうかと思ってるんですけど。」

男は一瞬少し驚くような表情を見せたが、やがてにっこりと笑った。
「そうか。じゃ、そっちで話そう。」
二人は事務室内の応接セットへ向かった。

応接セットに向かいながら、石川は窓から外を見る。

遠くに見える集落の桜並木が春の光をいっぱいに浴びながら揺れている。
はるか向こうに連なる山々の残雪が、突き抜けるような青空との境界線を描き出していた。
空は雲一つない快晴だ。

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